【とと姉ちゃん】「青鞜」平塚らいてう(平塚雷鳥)役は真野響子 戦後・熟年期のらいてうを演じる

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NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」に、平塚らいてう(平塚雷鳥)役で女優の真野響子が登場することがわかりました。

常子ら雑誌「あなたの暮し」が平塚らいてうに原稿を依頼するという設定で登場するとのこと。

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「あさが来た」では大島優子が演じた

平塚らいてう(平塚雷鳥。本名は平塚明=ひらつか・はる=)といえば、前作朝ドラ「あさが来た」において、元AKB48の大島優子が演じたことで記憶に新しいと思います。

大島優子版平塚らいてうはまだ女学生でしたが(らいてうは日の出女子大学校に通っていた)、「とと姉ちゃん」に登場する真野響子版平塚らいてうは、熟年期が描かれるようです。

雑誌・青鞜「元始、女性は実に太陽であった」

平塚らいてうは、明治19年(1886年)生まれの女性解放運動家、思想家、作家。大正から昭和にかけて婦人参政権など、女性のための権利獲得運動を行なった人物として知られます。

「とと姉ちゃん」で繰り返し登場する雑誌「青鞜(せいとう)」は、明治44年(1911年)にらいてうの主導により創刊されています。

日本で最初の ”女性による女性のための文芸誌” だった「青鞜」。その創刊にあたり、らいてうが書き上げた創刊の辞が、あの有名な「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である。」という文章です。

常子は大正9年(1920年)生まれという設定であり、女学校時代に恩師・東堂チヨ(片桐はいり)の紹介により「青鞜」に出逢うのが昭和11年(1936年)あたりのこと。この時、「青鞜」が創刊(1911年)されてから25年の月日が流れていたことになりますが、まだまだ女性の社会的立場は弱いままでした。

▲当時の抑圧された女性に大きな影響を与えた、平塚らいてう。
画像はWikipediaより転載(パブリックドメイン)。

真野響子版 戦後のらいてう

「とと姉ちゃん」において真野響子演じる平塚らいてうが登場するのは、戦争が終わってしばらくした昭和25年頃のこと。雑誌「あなたの暮し」に執筆してもらうため、らいてうに心酔する鞠子が交渉役となり、らいてうと交流することになります。

「あさが来た」で大島優子が演じた「生意気盛り」のらいてうとは違い、真野響子によるらいてうは、成熟した懐深い女性として描かれます。先の大戦を経たらいてうは、「自由な生き方」も「女性の権利」も日常の平和があってこそという境地に達しており、まさに「あなたの暮し」にうってつけの、素晴らしく慈悲深い文章を寄稿することになるのです。

戦後の平塚らいてうは昭和46年(1971年)に85歳で亡くなるまで、婦人運動、反戦・平和運動に邁進し、「日本婦人団体連合会初代会長就任」「国際民主婦人連盟副会長就任」「新日本婦人の会の結成」など多くの足跡を残しています。

実際に「暮しの手帖」にエッセイを寄稿

「とと姉ちゃん」では鞠子の活躍により、平塚らいてうが「あなたの暮し」にエッセイ(「お汁粉の作り方」について)を寄稿する様子が描かれます。

これは、モデル雑誌である「暮しの手帖」に実際に平塚らいてうが寄稿していたという事実がモチーフになっています。らいてうは1949年の「暮しの手帖・第2号」に「陰陽の調和」というエッセイを初めて寄稿。その話の中で登場した「ゴマ汁粉」が読者の話題になり、後の「第4号」でごま汁粉の作り方を説明したエッセイを書いています。

なお、花山伊佐次のモデル人物である伝説的編集者・花森安治(年生まれ)は子供の頃に図書館で平塚らいてうの著作を読み耽っていたともされます。唐沢演じる花山とらいてうとの絡みも期待されます。

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