【わろてんか】寄席「風鳥亭」(旧鶴亀亭)は「第二文藝館」がモデル 命名理由、意味は

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NHK連続テレビ小説「わろてんか」で、てんと藤吉が最初に経営することになる寄席「風鳥亭」。

この記事では、風鳥亭の取得経緯と命名由来、それに、風鳥亭のモデルになっていると思われる「第二文藝館」についてまとめます。

※この記事は事前に判明しているあらすじをもとに作成されています。放送内容が異なった場合は追記、訂正を加えていきます。

つぶれたままの寄席「鶴亀亭」 席主は亀井

てん(葵わかな)の助言もあり寄席経営を始める決意をした藤吉は、数年前に潰れたまま手付かずになっていた寄席「鶴亀亭」に目をつけ、譲ってくれないか打診をすることになります。

鶴亀亭は元席亭の亀井庄助(内場勝則)が妻・鶴子と営んでいた寄席(亀井の「亀」と鶴子の「鶴」で、「鶴亀亭」)。亀井は亡き妻に対する想いもあり、なかなか藤吉たちに寄席を譲ってくれません。また、寄席経営に反対する藤吉の母・啄子(鈴木京香)も夫婦の前に立ちはだかり、前途多難の船出となってしまうのです。

吉本夫妻が最初に経営を始めた寄席「第二文藝館」

この鶴亀亭のモデルとなっているのは、ヒロイン夫妻のモデル、吉本泰三(吉兵衛)・せい夫妻が最初に経営権を取得した「第二文藝館」と考えられます。

当時、天満天神(大阪天満宮)の裏門から北へ伸びる道には端席の寄席や芝居小屋など八軒ほどが並んでいたといい(天満八軒)、その中の小さな一軒が「第二文藝館」でした。

1912年(明治45年)、この第二文藝館が売りに出ていると知った夫妻は、せいがお金を必死に工面した上で500円(※)でこの寄席の経営権を取得しています。(※借金で200円用意し、父・林豊次郎から300円を出してもらって工面。)

第二文藝館は、旦那衆など羽振りの良い男たちが通う花街からも遠い場末にある上、経営不振で廃業したという何とも条件の悪い物件。泰三はこの寄席の木戸銭(入場料)を当時の最低ランク5銭に設定し、三流芸人や色物芸などを寄せ集めたゴチャゴチャ感を売りに、経営を軌道に乗せていきます。

後年「花月」に 命名は桂太郎とされる

後年、吉本興行部は法善寺裏の「金澤亭」を買収すると、落語家・桂太郎の命名により(諸説あります)これを「南地花月」(花と咲くか、月と陰るか、すべてを賭けて)と命名。吉本所有のほかの寄席にも「花月」の名を掲げるようになり、第二文藝館も「天満花月」と名付けられました。

▼現在、大阪天満宮の裏門(北鳥居)すぐ横には上方で唯一の定席「天満天神繁昌亭」(2006年完成)があります。庶民的な天満の町なかで触れる笑いの世界は、あの頃を思い起こさせる…?

「風鳥亭」と命名 花鳥風月−花月=風鳥?

さて。「わろてんか」の鶴亀亭ですが、紆余曲折の末に藤吉、てん夫妻はこの寄席を手に入れることになります。

当初、この寄席を「北村亭」と名付けようとした夫妻でしたが、この寄席の買い取りに当たりてんの実家・藤岡屋からお金を借り入れており、それを返すまでは北村屋の名を使わせないという啄子のプライドもあり、結局「風鳥亭」と名付けられるようです。

「風に乗った鳥のように」、大阪の人々に笑いを届けたい。

そんな願いが込められた名付けですが、自然の美しさをあらわす言葉「花鳥風月」から「花月」の文字を抜き去った「風鳥」亭という名前であることも、何だか意味深に思えます。

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