NHK連続テレビ小説「あさが来た」第18週(2016年2月1日〜)において、あさ(波瑠)は加野銀行に女子行員を採用し、社員教育を徹底していくことになります。
この記事では、あさのモデルである実業家・広岡浅子が、加島銀行において採用した女子行員の様子などをまとめます。
女子行員採用を決断した広岡浅子
第18週で描かれる加野銀行・女子行員の描写は、ドラマ原案「小説 土佐堀川」に描かれている加島屋の女子行員のエピソードがもとになっています。以下、「小説 土佐堀川」より抜粋。
明治21年(1888年)に念願だった「加島銀行」を開業させた広岡浅子は、従業員に対し接客態度や礼儀作法などを厳しく指導していきます。そんな中、浅子は女子行員の採用にも踏み切っています。
当時の女性の仕事といえば、女工や飯炊き、子守り、女給などが主流。銀行員として女性を採用するというのは「常識はずれ」の行動と言えました。
浅子は採用面接にやってきた女性のうち、軽い気持ちで来た者や「職業婦人」に憧れているだけの者などをふるいにかけていきました。さらには学科試験、接客実地試験を行い、本気で自分について来てくれる、頭のいい女性だけを採用しました。
教育された女子行員が評判に
採用となった女子行員5人には、開店前の朝の時間を使い、加島屋の歴史、商業概論、簿記、算盤などを教える教育が与えられました。
濃紫の袴に矢絣の着物で揃え、爽やかに客を接客する女子行員の姿は口コミで評判を呼び、加島銀行躍進の一翼を担っていくことになります。
アメリカの新聞で紹介された浅子
広岡浅子が実際に女子行員を採用したとする詳しい資料は日本には残っていないそうですが、明治35年(1902年)のアメリカの新聞「ザ・フィラデルフィア・プレス(The Philadelphia Press)」の記事で、浅子の働きぶりが紹介されています。
「有名な加島銀行の創業者かつ実質的経営者」「日本における炭鉱事業のパイオニアの一人」とされた浅子は、女子教育にも熱心な、先進的な実業家として紹介されています。
以下、大同生命ホームページの広岡浅子特集記事に掲載されている当時の新聞記事部分を引用します。
“She also takes a keen interest in educational matters; is at present promoting a university for girls, and, by way of giving practical encouragement, employs many educated girls at her banks, and has lately opened a new department which she has placed exclusively in the hands of ladies.”
(彼女は教育にも強い関心を持っており、女子大学の設立も支援している。また、女性活躍の実績を作る観点から、教育を受けた女性を自らの銀行に多数採用し、最近では、女性のみで運営する部署を新設した。)
まだまだ女性が一線で働くことに理解がなかった日本よりも先に、遠くアメリカの地において、浅子の先進的な考え、働きぶりは評価されていたのです。