NHK連続テレビ小説「わろてんか」のヒロイン・てんは三人兄弟の中で育っています。
この記事では、ヒロインのモデル人物・吉本せいの兄弟について、特に吉本興業の発展に貢献した林正之助、林弘高についてまとめていきます。
ヒロイン・てんは三人兄弟+風太
ヒロイン・てん(葵わかな)の生家・藤岡家は、京都にある老舗薬種問屋「藤岡屋」を営む商家。
てんの家族は、祖母・ハツ(竹下景子)、父・儀兵衛(遠藤憲一)、母・しず(鈴木保奈美)、兄・新一(千葉雄大)、妹・りん(堀田真由)の6人家族で、他に親戚で手代の武井風太(濱田岳)、女中のトキ(徳永えり)など従業員らが出入りする賑やかな家です。
てんは、優しい兄・新一、お姉ちゃんのことが大好きな妹・りんに挟まれ、「三人兄弟の真ん中」として育ちます。また、親戚で2歳年上の武井風太とも兄弟同然に育っています。
吉本せいは12人兄弟 実弟・正之助、弘高が吉本興業に
ドラマでは三兄弟の真ん中という設定のてんですが、そのモデル人物である吉本せい(吉本興業創業者、初代社長)は、子だくさんの家庭の中で育っています。
吉本(旧姓・林)せいは、米穀商を営んでいた父・林豊次郎の三女として明治22年に生まれています。
せいは12人兄弟だったとされます。「女興行師 吉本せい 浪花演藝史譚」(矢野誠一著・中央公論社)によれば、せいの上に長男・信之助、次姉・きくがおり(※長女は早世)、せいの下に千之助、正之助、勝(後に弘高)、治雄という四人の弟と、ふみ、はな、ヨネ、富子の四人の妹がいたそうです。
そのうち、10歳年下の弟・林正之助(林家三男)、18歳年下の弟・林弘高(林家四男)は後に吉本興業の経営に深く関わっていくことになります。
三男・林正之助(吉本興業二、四、七代目社長)
丁稚奉公で呉服店に出された後に19歳で吉本興行部(当時)に呼ばれ、「総監督」(実質は雑用係)に就任。短気で気が強く、厄介なトラブルや社内での叱り役などをせいに代わり受け持つようになる。
せいの夫・泰三が亡くなると実質的な経営を任されるようになり、横山エンタツの才能を発掘するなど漫才の発展にも大きく貢献。「ライオン」の異名を持ち、戦後は吉本興業の名物社長として君臨。こんにちの吉本興業をつくった最大の功労者とされる。
病気と闘いながら三度に渡り社長を務め、92歳で亡くなるまで日本有数の芸能プロモーターとしてその名を轟かせた。
四男・林弘高(吉本興業三代目社長)
豪快な兄・正之助とは毛色が違い、中央大学法学部卒のインテリ肌でロマンティストだったとされる林弘高。昭和3年(1928年)に吉本興業に招かれると、東京の吉本を任されることに。
昭和7年(1932年)には吉本の東京支社長に就任。流行歌やダンス、軽演劇などを取り入れハイカラなショーを売りにする「浅草花月」や、漫談、コメディ、「ボーイズ物」など東京に即したエンターテイメントを各劇場で提供し、大阪・吉本とは一線を画す経営スタイルを確立。吉本が東京へと進出する地場を固めた(戦後、東京吉本は大阪吉本から分離独立、別会社に)。
後に大阪に呼ばれ、吉本興業三代目社長に就任。正之助とは不仲だったとも…?
風太が「北村商店」重要人物に?
吉本興業は創業家である吉本家以上に、せいの実家である林家の影響力が強いといえます。
「わろてんか」でも、ヒロイン夫婦が立ち上げることになる芸能会社「北村商店」を、てんの親族が支える展開が予想されます。
藤岡屋の親戚で、てんと兄弟同然に育った武井風太(濱田岳)がてんを助ける展開があるのではないかと予想します(未確定ですが、林正之助が風太のモデルではというウワサも…)。
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