テレビ朝日系・昼の帯ドラマ劇場「トットちゃん!」に登場するアパート「乃木坂上倶楽部」についてまとめます。
この「乃木坂上倶楽部」は実在したアパート「乃木坂クラブ(乃木坂倶楽部)」がモデルとなっていますので、あわせてまとめます。
黒柳徹子の両親が住んだモダンなアパートメント
こちらは徹子の父・黒柳守綱が住んでいるアパートです♪
「のぎざか うえくらぶ」と読みます。
昭和当時は、日本一オシャレなアパートとして知られていました☆
守綱役は #山本耕史さんが演じてくれています。#トットちゃん! #黒柳徹子 pic.twitter.com/84PzK6ZUPB
— 「トットちゃん!」公式アカウント (@totto_tvasahi) 2017年9月17日
「トットちゃん!」の物語序盤は、黒柳徹子の両親(守綱、朝)が運命の出会いを経て結婚する様子などが描かれていきます。
「乃木坂上倶楽部(のぎざか・うえ・くらぶ)」は、徹子の父である黒柳守綱(山本耕史)が住んでいる、乃木坂の「日本一オシャレなアパート」。
建物は1階が人々の交流の場となる喫茶店「カフェ・シイナ」で、2階が住居。芸術家や自由人が住み、当時(昭和初期)としてはモダンで先進的な集合住宅といえます。
守綱と朝(松下奈緒)は、この乃木坂上倶楽部で新婚生活をスタートさせることになります。
・【トットちゃん!】アパート「乃木坂上倶楽部」住人、登場人物(出演者)紹介
実在したアパート「乃木坂クラブ」がモデル
この「乃木坂上倶楽部」ですが、実際に黒柳守綱、朝夫妻が暮らした東京・乃木坂のアパート「乃木坂クラブ」がモデルです。
黒柳朝の自伝「チョッちゃんが行くわよ」(主婦と生活社)によれば、当時定収入がなかった黒柳夫婦はこの「乃木坂クラブ」の一間を借り、新婚生活を送っています(昭和初期)。
アパートの一階には歓談が出来る喫茶室(代金はサインで)があり、ほかにお風呂場(無料)、食堂(食券制)も。住人には洋画家・佐伯祐三の未亡人で本人も洋画家だった佐伯米子(フランス帰り)がおり、美人だった朝はよく絵のモデルを頼まれたとか。
守綱、朝夫妻は翌年に子供(長女・徹子)が生まれることになると、このアパートを引き払い近くの借家に転居しています。徹子が昭和8年8月の生まれであるため、二人が「乃木坂クラブ」で暮らしたのは昭和7年前後のことでしょうか。
萩原朔太郎が住んだアパート「乃木坂倶楽部」
さて。この「乃木坂クラブ」ですが、実は乃木坂には「乃木坂倶楽部」として知られる建築物が二つあります。
ひとつは、昭和4年末に詩人の萩原朔太郎が一月半ほど仮住まい(2階28号室に単身入居)をしたことでも知られるアパート「乃木坂倶楽部」(現在の港区赤坂九丁目)。西欧的な都市生活スタイルをにおわせたこのアパートは、インテリで先端的な人が好んで入居したようで、当時には珍しい近代的で高級なモルタル2階建てでした。残念ながらこの建築物は現存しません。
もうひとつは、東京都港区六本木7丁目にある会館「日本政策投資銀行 乃木坂倶楽部」(現存)。こちらは現在「日本政策投資銀行」が所有しており、恐らくは銀行関係者などが(?)会合を行なったり親睦を深めたりするらしきための、現役の会館と思われます。(筆者は政財界の人間ではないので、この辺のボキャブラリーが貧困です…)
色々調べてみた上で100%の確証を得ることが出来なかったのですが、黒柳夫妻が住んだ「乃木坂クラブ」は、時代的にも建物の性格的にも萩原朔太郎が住んだアパートメント「乃木坂倶楽部」である可能性が高いと推測します。(どうしても「乃木坂クラブ」と「乃木坂倶楽部」が同じ物件だという資料が出て来ず、ちょっと自信がないですが…。)
萩原朔太郎は、この「乃木坂倶楽部」のことを詩集「氷島」の中の一篇「乃木坂倶楽部アパートメント」に書き残しています。
十二月また來れり。
なんぞこの冬の寒きや。
去年はアパートの五階に住み
荒漠たる洋室の中
壁に寢臺(べつと)を寄せてさびしく眠れり。〜(以下略)
当時、朔太郎は妻・稲子と離婚し、生活が荒廃し始めた時期。実際は二階建てだった乃木坂倶楽部を五階建てと表現するなど、現実逃避あるいは幻の理想郷を想い描くかのような乃木坂倶楽部の描写には、興味深いものがあります。
▼乃木神社付近から裏路地に入った味わい深い坂道の途中に、「乃木坂倶楽部」はあったとされる。
▼一体なぜ朔太郎は、乃木坂倶楽部を五階建てなどとうそぶいたのか。さまざまな文学を読み深めることで見えてくる日本の「アパートメント」像、集合住宅の在り方などを丁寧に読み解いていく一冊。