NHK連続テレビ小説「わろてんか」で、薬種問屋・藤岡屋が支店を出したという道修町(どしょうまち)について、町の場所、特徴などをまとめます。
道修町は「薬の町」として知られます。
藤岡屋・道修町支店
藤岡家の次女・りん(堀田真由)が入り婿を迎えて藤岡屋を継いでから十数年(大正12年)。今やりんは立派な御寮人さんとなり、薬種問屋・藤岡屋の経営も順調のようです。
第15週放送で関東大震災が発生すると、りんは南地風鳥亭を訪ね、関東方面への救援物資として大量の薬を提供。救援活動を続ける北村笑店に託します。
りんが言うには、大阪・道修町(どしょうまち)に藤岡屋の支店が出来たとのこと。道修町は千日前の南地風鳥亭からもほど近く(直線距離で2kmちょっと)、今後りんがてんの元を訪ねる機会も増えていきそうです。
くすりのまち・道修町
この道修町ですが、船場と呼ばれる大阪有数の商業地域のうち、少し北側に位置する地域です(北から五番目の町。東西に細長く町域が広がる)。
道修町は、藤岡屋の本店がある京都・二条と並び、「薬の町」として栄えてきた歴史があります。江戸時代に輸入薬を扱う薬種問屋がこの一帯に並び立つようになると、国内に輸入された薬がこの道修町に一度集まり、そこから全国へと流通していくというルートが確立。国内有数の「薬の町」として栄えていくことになったのです。
こうした経緯もあり、道修町通り周辺には現在でも武田薬品工業、小林製薬、塩野義製薬、田辺三菱製薬など有力製薬企業の本社が集い、他にも第一三共、日本新薬、大鵬薬品工業など多数の製薬企業の支店が軒を並べています。現在でも町の歴史が継承され、国内有数の「薬の町」として君臨しているのです。
▼「筋(南北方向)」「通り(東西方向)」という道を軸にして都市が形成されているのも、大阪の町の大きな特徴のひとつ。道修町は道修町通りを中心にした東西に細長い町域。
「道修町ミュージアムストリート」
現在、道修町通り沿いには「田辺三菱製薬史料館」、「大日本住友製薬展示ギャラリー」、「杏雨書屋(きょううしょおく)」、「くすりの道修町資料館」という薬に関する四つの展示施設が集まっています。
通りは「道修町ミュージアムストリート」とも呼ばれ、この地域の歴史ならびに薬に関する知識を学ぶことが出来ます。
薬の神様「少彦名神社」
また、道修町通りと堺筋が交わる付近には医薬の祖神を奉った「少彦名神社(すくなひこなじんじゃ)」があり、この町の人々と薬との密接な関係を今に伝えます。少彦名神社は「道修町の神農(しんのう)さん」とも呼ばれ、医薬業に関わる人々、健康を願う人々から広く信仰を集めています。
▼近代化したビルの一角に今も残る少彦名神社。左側のビルが「くすりの道修町資料館」。