NHK連続テレビ小説「わろてんか」2018年3月14日(水)放送回より。
この日の放送で唐突気味に登場した「通天閣買収」の話題について、史実を交えて経緯をまとめます。
通天閣の買収を勧める風太
昭和14年。事業の成功や「わろてんか隊」の派遣による国家への貢献などにより、てん(葵わかな)は国から勲章をもらい、世間からは「女太閤」と呼ばれるほどの名声を得ていました。しかし同時に、「銭ゲバ、拝金主義の女社長」といったような、てんの本性とは違う虚像も一人歩きをし始めていました。
やがて通天閣が売りに出されることが判明すると、風太(濱田岳)はてんに対し通天閣の買収を強く勧めます。大阪の象徴である通天閣を、どこぞの馬の骨に買収されてしまう前に手に入れ、大阪における北村笑店の存在感をますます強めたいと風太は考えたのです。
通天閣を買収した吉本興業
風太が強く希望し、てんが購入を決断することになる通天閣。北村笑店の史実上のモデル企業である吉本興業も、実際に昭和13年に初代・通天閣(※現在の通天閣は2代目)を買収し、その名を大阪中に轟かせています。
現在の通天閣よりも少々ずんぐりとしたフォルムだった初代・通天閣は、新世界ルナパーク(遊園地)内に明治45年に建設されています。高さは75メートルほど(現在の通天閣は108メートル)で、当時としては珍しい展望台へと昇るエレベーターが設置されるなど、大阪の人々に愛される高層建築物でした。
▼1920年〜1943年頃とされる通天閣と新世界の風景(画像はWikipediaから転載。パブリックドメイン)。現在の通天閣よりもドシッとしており、パリのエッフェル塔、凱旋門への憧れを感じさせるデザイン。この頃の大阪の街を歩いてみたい…
▼ルナパークとロープウェイで結ばれていた通天閣。(画像はWikipediaから転載。パブリックドメイン)
街から見上げる分には好評だった通天閣ですが、その経営状態は厳しかったようで、ついに売却話が持ち上がると、吉本興業社長の吉本せいはこれに飛びついています。
当時の吉本の経営規模を考えても、通天閣の買収額はかなりのもの。入場料収入はさして期待できず、老朽化が進んだ建物に多額の維持管理費がかかることを考えても、採算が取れそうにない大博打の買い物と思われました。とはいえ、商人の吉本せいにしてみれば、通天閣を買収することで巨大な宣伝効果が得られるという目算があったのでしょう。
吉本興業は大阪の街を見下ろす通天閣を買収することで、演芸界の「天下」を取りにいこうと考えたのでしょうか。
火災で解体 戦争により吉本衰退期へ
しかし、昭和18年には通天閣の足下にあった映画館が火事になり、通天閣の脚部が損傷。結局この火事により通天閣が解体されるのですが、この時期に前後して、隆盛を誇った吉本興業の経営にも暗雲が立ち込めます。
戦局が激化し決戦へと向かう世相を受けて、昭和19年には当局から寄席の休業を命じられ、昭和20年にかけて吉本の寄席の多くが空襲により焼失。加えて所属芸人が戦死するなど、隆盛を極めた吉本興業は一気に弱体化していくことになります。
「わろてんか」においても、最終週にかけて戦争の激化と北村笑店の衰退、再生の様子が描かれます。通天閣買収のエピソードは、開業以来成長を続けてきた北村笑店にとってひとつのピークの時代にあたり、ここから先は戦争の苦難の時代へと突入していきます。
▼安来節乙女組の一人、ミーハー乙女の錦織あや(鈴木球予)も、大阪に出て通天閣見物をすることに憧れていました。
・【わろてんか】「安来節乙女組」とは?メンバーは四人