NHK土曜時代ドラマ「赤ひげ」に登場する医療所「小石川養生所(こいしかわ・ようじょうしょ)」についてまとめます。
「小石川養生所」は実在した江戸幕府の療養施設であり、同施設のあった「小石川御薬園(こいしかわ・おやくえん)」は現在も日本有数の植物園「小石川植物園」として、脈々とその歴史が受け継がれています。
園内で撮影した写真とあわせてご紹介します。
「小石川養生所」設置に関わった医師・小川笙船
「小石川養生所」は、小石川の町医者だった「赤ひげ先生」こと小川笙船(おがわ・しょうせん)が目安箱に上申したことをキッカケにして、享保7年(1722年)に「小石川御薬園」(幕府直轄の薬園)内に設置されています。
「小石川養生所」が設置されると、小川笙船は息子の円治とともに養生所の世話役を任され、行き先のない貧しい病人たちを支え続けました。
「小石川養生所」は明治維新で廃止されるまで、貧窮病人たちの救済施設として長く機能し続けました。
▼小石川植物園内に今も残る旧養生所の井戸。「赤ひげ先生」がこの地で奮闘していた姿が目に浮かびます。水質が良く水量も豊富で、大正12年(1923年)の関東大震災発生時には飲料水として避難者の助けとなりました。
▼ドラマ「赤ひげ」では、鬱蒼とした樹木の中の場末のような場所に「小石川養生所」が存在します。現在でも小石川植物園内は都心とは思えないほどの深い森や急傾斜の崖、薄暗い小道が多く、ドラマで描かれる「小石川養生所」の雰囲気はリアルなものといえそうです。
「小石川御薬園」とは
▼かつて徳川5代将軍・綱吉が幼少期に住んでいた「白山御殿」の庭園が由来だという、「小石川植物園」内の庭園。崖を背後に高低差を生かした立体的な空間づくりがなされています。
寛永15年(1638年)に江戸の南北に開かれた「大塚御薬園」と「麻布御薬園」(増え続ける江戸の人々の薬となる植物を育てる目的で設置)が整理統合され、貞享元年(1684年)に小石川御殿(徳川綱吉の別邸・白山御殿)に開かれたのが、「小石川御薬園」の始まりです。
その後、享保6年(1721年)に8代将軍吉宗によりほぼ現在の面積に相当する広さの敷地に拡張され、本格的な薬園として整備されています。その翌年の享保7年(1722年)には、敷地内に「小石川養生所」が開設されています。
「小石川御薬園」は明治元年(1868年)に東京府の所轄大病院附属薬園に、明治10年(1877年)には東京大学附属の植物園になり、以降、日本の近代植物学発祥の地として長らく研究、教育の場として発展し、広く一般にも公開されるようになっています。
※現在は「小石川植物園」の呼称で親しまれていますが、正式名称は「国立大学法人東京大学大学院理学系研究科附属植物園」です。
▼文京区小石川、白山一帯は台地と低地との境目にあたり、街には坂が多く見られます。小石川植物園の園内もこうした地形を生かして平地、崖地、池など様々な風景が構成され、地形にあわせて多様な植生が見られます。
園内には「御薬園」の名残も
園内には日本の植物学の歴史をそのまま語る、様々な植物が見られます。
▼園内の台地上にある、薬園保存園。コガネバナ、オウレン、マオウなど、御薬園時代に栽培されていた代表的な薬用植物100余種を集め、栽培・公開しています。
▼薬園保存園で栽培されている薬用植物のひとつ、ショウガ科の「キョウオウ」。「肝臓の解毒機能亢進」といったように、それぞれの植物が持つ薬用効果が書かれており、薬種好き、漢方好きにとっては見ているだけで楽しいです。
▼「万有引力の法則」を発見したニュートンが実際に見た「リンゴの木」は、接ぎ木によって科学に関係がある施設などに分譲されています。小石川植物園にある「ニュートンのリンゴ」も、英国物理学研究所長・サザーランド博士から日本学士院長柴田雄次博士に贈られた木を接ぎ木したという、由緒正しいものです。この近くには遺伝学の基礎を築いたメンデルが実験に用いた葡萄の分株もあります。
▼徳川・御薬園時代から園内で栽培されていたというカリンの木。剥がれ落ちる樹皮が特徴的。
▼享保20年(西暦1735年)、「甘藷先生」と呼ばれる青木昆陽が、この地でサツマイモの試作を行なった。当時、西日本ではすでに救荒作物として知られていたサツマイモ。この地での試作実験により、享保の大飢饉以降に関東地方や離島においてサツマイモの栽培が普及し、天明の大飢饉では多くの人々の命を救ったとされる。
▼庭園の傍に建つ、旧東京医学校本館(重要文化財)。明治9年(西暦1876)に建築されたこの建物は東京大学に関係する建造物では現存する最古のもの。現在は「東京大学総合研究博物館・小石川分館(建築ミュージアム)」として、一般公開されています。