NHK連続テレビ小説「あんぱん」に登場する柳井寛(竹野内豊)は、亡き弟・清から預かった甥っ子二人を大切に育て、深い愛情を持って生き方を示していきます。
寛はたびたび新しい視点を生み出すような名言を発しており、将来や生き方に悩む嵩や千尋の良きメンター(指導者、助言者)になっていきます。
この記事では、寛が甥っ子たちに授けた名言などをまとめておきます。
「好きなものはやればやるばあ こじゃんと好きになる」
第3回放送で登場した寛の言葉。
伯父の家に預けられて間もない嵩(木村優来)が柳井家のリビングで絵を描いていたところ、それを見た寛は「嵩は絵が上手いねえ。たいしたもんや」「家族みんなの笑い声が聞こえゆうみたいな、あったかい絵ぇや」とその出来を称賛しています。
それに続いて寛がかけた言葉は、嵩が絵にのめり込んでいく大きな後押しになっていきそうです。
嵩、こじゃんと絵を描け。好きなものはやればやるばあ、こじゃんと好きになる。
標準語に訳すと、「嵩、徹底的に絵を描け。好きなものはやればやるほど、目一杯好きになる。」といったところでしょうか。
伯母の千代子(戸田菜穂)が型にはめたような無難な生き方を求めてくる中で、寛は一貫して甥っ子たちの自主性ややりたいことを尊重していきます。
嵩のモデルであるやなせたかしは、育ての親である伯父・柳瀬寛の先進的で教養深い考え方に大きな影響を受けています。やなせたかしは少年時代から絵を描くことに夢中になり、やがて東京高等工芸学校図案科に進学。自由な気風の中で本格的に絵を学んでいます。

「子供の頃から自分の夢を必死に追いかけた。それが結太郎の喜びながや」
第5回放送で登場。こちらは嵩に対する助言ではありませんが、寛の人生観がよく表れた言葉ですのでメモしておきます。
息子の結太郎(加瀬亮)を亡くして悲嘆に暮れるくら(浅田美代子)を見舞った寛は、「先生、結太郎は何のために生まれてきたがやろう。」というくらの疑問に対し、以下のように答えています。
何のために?子供の頃から自分の夢を必死に追いかけた。それが結太郎の喜びながや。
実家の石材店を継がずに商社に入り、世界を相手にしたビジネスを夢見ていた結太郎。
たとえ短い命であったとしても、自分の夢を追いかけ続けた結太郎の人生は喜びに満ちたものだった…。何のために生きるべきかを問い続ける寛の人生観が凝縮したような言葉ですね。
「生きちゅうき…悲しいがや。生きちゅうき…苦しいがや」
第5回放送で飛び出した寛の名言。
結太郎を亡くして心を痛めているのぶ(永瀬ゆずな)に、何かしてやれることはないかと縁側で考え込んでいる嵩。そこに現れた寛は、嵩に以下のようなアドバイスを送っています。
そればっかりは医者にもなおせん。「時」という薬しかない。でもそれが生きちゅうことやないかえ。
生きちゅうき…悲しいがや。生きちゅうき…苦しいがや。生きちゅうき…いつか元気になってきっと笑える日が来るがや。
苦しみも悲しみも喜びも、生きているからこそ感じることが出来る鮮烈な感情です。
後に嵩が生み出す「アンパンマン」のテーマの一つは「生きる喜び」ですが、寛のこうした言葉がそのルーツになっていくのかも知れません。
「ちょっとした冒険やったにゃ」
第10回放送では、寛の人柄が表れた一言が見られました。
家を出てしまった母・登美子(松嶋菜々子)に会うために、一人家を飛び出して高知市内まで歩いていった嵩。
御免与町内では行方不明になった嵩を探して大騒ぎになっていましたが、寛は「あの子を信じて待とう」と動じません。そして夕方。寂しそうな顔で帰宅した嵩のことを、寛は決して叱ったりはしませんでした。
ちょっとした冒険やったにゃ。
いっときの衝動による無謀な行動を決して叱らず、「ちょっとした冒険」という言葉で肯定してくれた寛。
失敗や間違いを頭ごなしに否定せずに見守ってくれる寛の寛大な在り方は、今後挑戦続きの人生になっていく嵩にとって大きな支えになっていきます。
「何のために生まれて、何をしながら生きるがか」
第11回放送で登場。後に生まれるであろう「アンパンマンのマーチ」の歌詞を彷彿とさせる寛の言葉です。
柳井家での夕食時のこと。中学5年生(最終学年)になっても漫画ばかりで勉学に身が入らず伯母の千代子から苦言を受けてしまった嵩と、「千尋さんにはこの医院を継いでもらわんと」と千代子から将来を決めつけられてしまう千尋(中沢元紀)。
千代子の口うるさい言葉に口をつぐんでしまった甥っ子二人に対して、寛は発破をかけるように以下の言葉をかけています。
そんなことどうじぇちえい(医院を継ぐことなどどうでもいい)。フォークと違うて人生には替えがきかんがや。
2人とも今からしっかり考えちょけ。何のために生まれて、何をしながら生きるがか。何がおまんらの幸せで、何をして喜ぶがか。これや!というもんが見つかるまで、何べんでも何べんでも必死に考えぇ。
嵩と千尋に重くのしかかる「良家の子息」という呪縛を解き放つかのような、寛の闊達な言葉。
親の顔色など気にせずに、自分自身の人生を思いっきり生きていけ…。そんな寛の言葉を受けた嵩と千尋は、自分は本当は何がしたいのか、その一点を見つめて今後の人生を考えていくことになります。
「絶望の隣はにゃ…希望じゃ。」
第20回放送で登場。
高知第一高等学校の受験に失敗して行方不明になり、夜の線路の上で寝てしまった嵩。みんなで探してようやく明け方に見つけ出された嵩が「僕はなんのために生きてるんだろう」とつぶやくと、寛が以下のような言葉を伝えています。
「泣いても笑ろうても日はまた昇る。嵩。絶望の隣はにゃ…希望じゃ。」
今後も紆余曲折の人生を送るであろう嵩にとって、忘れられない言葉になりそうです。
「よし。嵩は美術系の学校に進め。自分が決めた道やきにゃ。おまんが責任を持て」
第22回で登場。絵を描いて生きていきたいと告白した嵩に対し言った寛の言葉。
「現実的やないにゃあ、絵では食うていけん。それやったら現実と折り合いをつけるしかない。図案やったら食うていける…かもしれん。本の挿絵や広告を描けたらや。いや、断言はできん。食えるかもしれん。〝かもしれん〟に人生をかける覚悟はできちゅうか。」
「よし。嵩は美術系の学校に進め。自分が決めた道やきにゃ。おまんが責任を持て」
美術系の道に進みたいと考える嵩に対し、現実的な折衷案として図案科(商業デザイン等)への進学を提案した寛。
嵩の決意を確認した寛は、美術系の学校に進むことを認め、自分の人生は自分で責任を持てと激励しています。
「君はこの家と結婚したがか?」
嵩と千尋が柳井医院を継がないことがほぼ確定し、縁側で落ち込んで慣れないウイスキーを飲んでいた千代子。「あなたはいっぺんも責めんけんど、跡取りを産めんかった私のせいです」と自分を責める千代子に対し、寛がかけた言葉。
「何言うがな。そんなん誰のせいでもない。君はこの家と結婚したがか?わしと結婚したがやないがか?わしより、この家に縛られたいがか?わしは千代子に惚れて一緒になれて、これ以上の人生はないと思うちゅう。」
これまで描かれてこなかった、寛と千代子の夫婦の絆が垣間見られたシーンでした。
「人生は喜ばせごっこや」
第25回で登場。
東京高等芸術学校に合格し、お祝いに銀座美村屋のパンを買いに来た嵩と寛。美村屋の店舗前で幼少期の家族の思い出を語りだす嵩に対し、寛は嬉しそうに「清が生きちょったら、おまんの合格をさぞかし喜んだやろうにゃ」と目を細めます。
続けて寛から出た言葉は、今後の嵩の生きる指針になりそうなものでした。
「嵩…。何のために生まれて何のために生きるか。わしは思うがよ。それは人を喜ばせることや。おまんのあんな嬉しそうな顔見てわしもこじゃんと嬉しかった。人生は喜ばせごっこや。」
「いつか2人の道が交わる日がくるかもしれん」
第34回で登場。
御免与町に帰省していた嵩と喧嘩別れしてしまったのぶに対し、御免与駅でばったり会った寛が言った言葉。
「今度会うたらもっとひどいケンカしてしまうかもしれません。嵩さんとは、いつの間にか考えや進む道が違ごうてしもうたみたいながです」と落ち込むのぶに対し、寛は以下のように言っています。この寛の言葉が、今後の2人の関係性を予言しているかも知れません。
「そうか…。のぶちゃんは信じる道を正直に走っていけばえい。嵩は自由気ままにのんびり自分の道を進んでいくやろう。そのうち、どっちかが立ち止まることがあるかもしれん。今は平行線に思えても、いつか2人の道が交わる日がくるかもしれん。」
「嵩が決めた道や…投げ出すがは許さん」
第41回、病に倒れた寛が亡くなる間際に千代子に語った言葉として登場。
休日の往診など度重なる過労がたたって倒れ、危篤状態になってしまった寛。千尋はすぐに東京の嵩にあてて「チチキトクスグカヘレ」という電報を送りましたが、嵩は卒業制作を仕上げるまでは帰れないと腹を括り、ついには寛の死に目に会えませんでした。
最期に一目会うことが叶わず自責の念を抱える嵩に対し、千代子は寛が亡くなる間際に病床で語ったという以下の言葉を嵩に伝えています。
ああ…嵩…。今頃卒業制作必死に頑張りゆうがやろう。わしが邪魔してどうするがな…。最後まで描きあげんと…半端でもんてきたりしよったら…半端でもんてきたりしよったら…殴っちゃる。嵩が決めた道や…嵩が生きる道や…投げ出すがは許さん。嵩も…千尋も…投げ出すがは許さん…。
愛する息子2人に対する最後にして最大のエールとなる言葉ですね。嵩はこの寛の教えを無意識のうちに貫き、卒業制作を完成させたのでした。