NHK連続テレビ小説「あんぱん」でロックバンド「Mrs. GREEN APPLE」のメンバー・大森元貴が演じることになる作曲家・いせたくや。
漫画家としてブレイクしきれずにいる嵩にとって重要な人物になるであろう作曲家・いせたくやについてまとめます。モデルはやなせたかしと親交があった作曲家・いずみたくです。
嵩の人生を変える?作曲家・いせたくや
嵩(北村匠海)は戦後にのぶ(今田美桜)とともに高知の新聞社で働いた後に上京し、オンボロアパートでのぶと生活をしながら漫画家の夢を追いかけることになります。
史実通りであれば、嵩は上京後すぐに漫画家としてブレイクすることはなく、長い下積み生活を送ることが予想されます。
そんな嵩にとって大きな転機となりそうなのが、大森元貴演じる作曲家・いせたくやとの出会いでしょう。
現在のところ詳細は明かされていませんが、おそらく嵩は副業のような形で始めた舞台演出の仕事を通していせたくやと出会い、いせたくや作曲、柳井嵩作詞による童謡「手のひらを太陽に」を生み出すものと思われます。
いせたくや役に人気ミュージシャンの大森元貴を起用したことからも、「手のひらを太陽に」が生み出される過程が丁寧に描かれていくものと予想します。大森元貴が劇中で歌声を披露することがあるかも知れませんね。
いずみたく同様、こちらも音楽界の時代の寵児になっている大森元貴(おおもり・もとき)。メインボーカルを務める「Mrs. GREEN APPLE」での活躍はもちろんのこと、作詞家、作曲家、編曲家、俳優としても幅広い活躍を見せています。俳優としては、菊池風磨とダブル主演をした映画「真相をお話しします」、ドラマ「忍者戦隊カクレンジャー 第三部・中年奮闘編」に続く出演で、これが朝ドラデビューとなります。

稀代のヒットメーカー・いずみたく 代表曲は?

いせたくやのモデルとなっているのは、昭和時代に数々の名曲を生み出したことで知られる作曲家・いずみたくです。
参考までにいずみたくが手掛けた名曲たちを一部列挙してみますが、いずれも国民的ヒット曲といえる錚々たるラインナップとなっています。
【いずみたくが手掛けた名曲たち】
・太陽がくれた季節(青い三角定規)
・夜明けのうた(岸洋子)
・ゲゲゲの鬼太郎(アニメ主題歌)
・見上げてごらん夜の星を(坂本九)
・幸せなら手をたたこう(坂本九)※編曲のみ
・いいじゃないの幸せならば(佐良直美)
・いい湯だな(ドリフターズ)
・ふれあい(中村雅俊)
・僕等はみんな恋人さ(橋幸夫)※朝ドラ「ひよっこ」で本人が出演し歌唱
・恋の季節(ピンキーとキラーズ)
・夜明けのスキャット(由紀さおり)
・手のひらを太陽に(宮城まり子ほか)※やなせたかし作詞
・「徹子の部屋」番組テーマ曲
舞台の仕事で出会う いずみたく やなせたかし
歌謡曲からCMソング、アニメソング、ドラマの主題歌など多ジャンルの作曲を次々と手掛け、時代の寵児となっていた、いずみたく。
その才能によりミュージカル舞台の制作にも多数携わっており、1960年(昭和35年)には永六輔とともにミュージカル舞台「見上げてごらん夜の星を」を手掛け、その制作現場で舞台美術を担当していた漫画家・やなせたかし(「あんぱん」柳井嵩のモデル)と知り合っています。
漫画家だったやなせたかしが何故舞台美術の仕事を?と疑問に思う方がいるかも知れません。
詳細は以下の記事にまとめましたが、売れないフリーランス漫画家として40歳を迎えようとしていたやなせたかしは、雑誌記事の仕事で一緒になったスター歌手・宮城まり子に気に入られてリサイタルの構成、舞台衣装のデザインなどを突然任されています。やなせたかしはこれをキッカケに舞台美術家、演出家、司会者といったエンタメの仕事を副業(漫画家としては売れていなかったため、もはや本業?)としていた時期がありました。

名曲「手のひらを太陽に」が誕生

「いずみたく」と「やなせたかし」という稀有な才能が出会ったことで、後世まで残る名曲が生まれています。
1961年(昭和36年)。やなせたかしは自らが構成を担当していた日本教育テレビ(NET、のちのテレビ朝日)の朝のニュースショー番組内の「今月の歌」コーナーで、新たな曲を用意することになったようです。
そこで生まれたのが、いずみたく作曲、やなせたかし作詞による新しい童謡「手のひらを太陽に」でした。
この当時、やなせたかしは諸々の仕事を順調にこなしていたようですが、肝心要の漫画家としては天才手塚治虫らの台頭や劇画風漫画の流行などもあり、すっかり時代に取り残されていました。
そんな焦りや不安を抱えた冬の夜、やなせたかしは机で仕事をしながら電気スタンドで手を温めていると、指の間を真っ赤に流れる血の色の美しさに気が付きます。
「手のひらを太陽にすかしてみれば 真っ赤に流れるぼくの血潮〜」
今も親しまれる「手のひらを太陽に」を作詞したやなせたかしは、さっそく知り合いのいずみたくにお願いしてこの詞に曲を付けてもらいます。
完成した「手のひらを太陽に」の歌い手には、こちらも懇意にしていた歌手の宮城まり子を起用。こうして「手のひらを太陽に」が世に出ると、翌1962年(昭和37年)にはNHK「みんなのうた」において「手のひらを太陽に」(歌い手:宮城まり子とビクター少年合唱隊、アニメ映像:やなせたかし)が放映。
1965年(昭和40年)には男性コーラスグループ・ボニージャックスが「手のひらを太陽に」をカバーしてこれが大ヒットとなり、「手のひらを太陽に」は国民的愛唱歌となっていきます。
朝ドラ「あんぱん」でも、売れない漫画家としてくすぶり続けている嵩のもとにいせたくやが現れ、嵩の人生を大きく変えていくことが予想されます。