朝ドラ「あんぱん」やなせたかしと歌手・宮城まり子の関係性

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NHK連続テレビ小説「あんぱん」柳井嵩のモデルになっているやなせたかしは、スター歌手で人気俳優だった宮城まり子と意外な縁を持っています。

この記事では、やなせたかしと宮城まり子との出会いや関係性、宮城まり子がやなせたかしの人生にもたらした変化などをまとめます。

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「あんぱん」にも宮城まり子をモデルにした人物が登場か

▼宮城まり子の代表曲「ガード下の靴みがき」「納豆うりの唄」や、やなせたかし作詞の童謡「手のひらを太陽に」も収録されたアルバム。

アーティスト:宮城まり子, その他:O.ハマーシュタイン2世, その他:岩谷時子, その他:水谷良一
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詳細は後述しますが、昭和時代を中心に歌手、俳優、慈善活動家として広く活躍した宮城まり子はやなせたかしの人生に大きな変化をもたらしています。

また、やなせたかしが作詞し、いずみたくが作曲した童謡の名曲「手のひらを太陽に」は宮城まり子の歌により最初に世に出ています。

このような経緯から、朝ドラ「あんぱん」でも宮城まり子をモチーフにした人物が登場するのではないかと予想しています。おそらくそれなりの大物俳優、歌手がその役柄を演じるのでないでしょうか。

昭和のスター・宮城まり子 歌手、俳優、慈善活動家としてマルチに活躍

▼社会事業家、慈善活動家としても知られた宮城まり子。肢体不自由児、孤児・拒食症、精神疾患者などの救済と支援を行う日本初の民間社会福祉施設「ねむの木学園」の設立と運営に身を捧げたことでも知られます。

著:渡邊弘
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1927年(昭和2年)に東京で生まれ、戦後の1950年代に歌手として「毒消しゃいらんかね」「ガード下の靴みがき」「てんてん娘」「夕刊小僧」などのヒット曲を連発した宮城まり子

1954年(昭和29年)から1962年(昭和37年)までの間にNHK紅白歌合戦に計8回出場するなど、国民的歌手として人気となっています。

また、舞台俳優として新宿コマ劇場の人気女優として活躍したほか、映画「てんてん娘」「黒い十人の女」「はだしのゲン 涙の爆発」などに出演。アニメ映画「白蛇伝」の主人公の一人・白娘役の声や「世界名作童話 おやゆび姫」のブンブー役を担当するなど、俳優や声優としても幅広い活躍を見せています。

1958年(昭和33年)5月、やなせたかしは人気の絶頂期を迎えていた大スター・宮城まり子から一本の電話を受けることになります。

▼宮城まり子自ら製作、監督をした記録映画「ねむの木の詩」は第6回国際赤十字映画祭で銀メダル賞を受賞。やなせたかしに負けず、マルチな才能を発揮した人物でした。

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宮城まり子からまさかの仕事依頼 やなせたかしのマルチな才能が開花

当時のやなせたかしは、務めていた三越を退社しフリーランス(無名の漫画家)となって数年が経っていました。

独立後はニッポンビール(現在のサッポロビール)の広告漫画を連載したり、所属していた「漫画集団」から連載の仕事を回してもらったりしながら細々と暮らしていたそうです。

間もなく40歳になろうかというやなせたかしでしたが、いまだに代表的なキャラクターを生み出せないまま。加えて天才漫画家・手塚治虫の出現により長編漫画が世の主流になって焦りを覚えるなど、世間からポツンと取り残された気持ちで連載仕事をこなしていたそうです。

1958年(昭和33年)5月、突然の電話により8歳年下の大スター・宮城まり子の自宅に呼び出されたやなせたかしは、「今度初めてのリサイタルをやるんだけど、その構成をしてほしい」「ついでに衣装デザインもお願いできる?」というまさかの依頼を受けることになります。

当時のやなせたかしは、舞台演出や構成の仕事などの経験は一切無し。宮城まり子とは以前に似顔絵入りのインタビューの雑誌の仕事を引き受けた際に一度会ったことがあるだけでした。

やなせたかしは無名な漫画家に過ぎない自分に対する無謀な依頼だと戸惑いながらも、やったこともないリサイタルの構成と、彼女が舞台で着用する衣装のデザインを担当することになります。

やなせたかしは苦心の末に「不思議の国のアリス」の世界観をベースとしたミュージカル仕立ての物語を書き上げると、当時オードリー・ヘプバーンが着ていた洋服を参考に舞台衣装も自らデザイン。

初めての素人仕事ながら、やなせたかしが担当したミュージカルパートと衣装は大好評になります。こうしてやなせたかしは継続的に宮城まり子のステージ構成、脚本執筆、司会などを担当するようになり、舞台美術家・演出家・司会者という新たな職能を開花させていくのです。

※皮肉なことにやなせたかしのマルチな才能(舞台美術制作や放送作家などとして活躍)が、結果的に漫画家としての仕事を一時的に遠ざけてしまいます。

名曲「手のひらを太陽に」誕生につながる

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