NHK連続テレビ小説「あんぱん」でいずれかけがえのないパートナーになる朝田のぶと柳井嵩ですが、二人の恋はすぐに成就するわけではありません。
ドラマ中盤ではのぶがある男性と最初の結婚をすることになるのですが、これはのぶのモデル・小松暢がやなせたかしとの結婚の前に一度結婚をしていたという史実に基づくものです。
この記事では、のぶの最初の結婚相手・若松次郎についてまとめるとともに、若松次郎のモデルである小松総一郎という男性についてまとめます。今後のネタバレを含みますのでご注意ください。
【あんぱん】思想の違いで嵩と疎遠になるのぶ


幼少期からお互いを特別な存在として意識しあい、やがて生涯のパートナーとなっていく朝田のぶ(今田美桜)と柳井嵩(北村匠海)。しかし二人の恋はなかなか成就せず、周囲の人たちをヤキモキさせていきます。
教師になることを目指して高智女子師範学校に入学したのぶは、そこで軍国教育の洗礼を受け、次第に愛国心や軍国主義的な思想を身に着けていきます。
一方の嵩は、絵を学ぶために上京して東京高等芸術学校に入学。個性的な教師や学生たちに囲まれ、リベラルな雰囲気の中で自由な学生生活を謳歌していきます。
この頃になると、自由や個人の生きる喜びを追求した学生生活を送る嵩に対し、たびたびのぶが苦言を呈し、二人の関係が険悪になっていきます。
【あんぱん・ネタバレ】のぶ、機関士の若松次郎と最初の結婚
やがてのぶと嵩はある出来事をキッカケに「お互い変わってしまった」と悟り、二人の間に決定的な溝が出来てしまいます。
そんな折、朝田家に若松節子という女性が訪ねてきます。節子の夫は船の機関長で、のぶの亡き父・結太郎(加瀬亮)と親しかったのだとか。
節子は息子(次男)の若松次郎(中島歩)が船乗り(一等機関士)になったので、夫からよく聞かされていた「ハチキンおのぶ」と次郎をお見合いさせたいと申し出てくるのです。
お見合い当日。のぶも次郎も互いにまだ結婚する気がまったくないという事実に気がつくと、二人は妙に意気投合。
次郎はのぶのことが気に入ったのでしょう。後日次郎がのぶに対して正式に求婚をしてくると、のぶは迷いを見せますが、次郎が発したある言葉(結太郎がかつて口にした言葉と同じ言葉)を聞いた瞬間に求婚を受け入れる決断をすることになります。
祝言の直前。ちょうど高知に帰っていた嵩が「のぶちゃん…お幸せに」と精一杯の言葉をかけると、のぶはその言葉を複雑な思いで受け止めます。
こうして最初の結婚をしたのぶは、次郎(船乗りなのでほとんど家にいない)とそれなりに幸せな日々を過ごすことになりそうです。時は戦争の時代。次郎は船乗りとして世界各地を飛び回り、時に兵隊や軍需物資の輸送を行う危険な任務に従事していきます。一方の嵩は召集令状が届き、中国・福建省に駐屯。軍隊や戦争の理不尽さを体験していきます。
次郎は戦争の時代を無事生き延びますが、戦後すぐに肺結核にかかると、やがて若くして亡くなってしまいます。
それからすぐのこと。無事に中国から復員してきた嵩は、高知の焼け野原で未亡人になってしまったのぶと再会し…。
▼若松次郎を演じるのは、宮城県出身の36歳の俳優・中島歩(なかじま・あゆむ)。朝ドラ「花子とアン」で葉山蓮子の再婚相手・宮本龍一役を演じて大きな注目を集めると、出演映画「偶然と想像」が第71回ベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞。映画「いとみち」「偶然と想像」で第35回高崎映画祭最優秀助演俳優賞を受賞するなど、その演技が高い評価を得ている。昨年のドラマ「不適切にもほどがある!」ではクセが強いイケメン教師・安森役を演じて話題に。

【史実モデル】小松暢の最初の結婚相手・小松総一郎 やなせたかしは再婚相手だった
朝田のぶのモデル人物である小松暢(こまつ・のぶ)は、大阪生まれの大阪育ち。大阪の女学校を出た後に上京して最初の結婚をし、夫と死別した後に高知新聞社に入社すると、そこで生涯のパートナーになるやなせたかし(高知・後免町育ち)と出会っています。
つまり、「あんぱん」で描かれるのぶと嵩の幼なじみストーリーはフィクションということになります。
日本最大の総合商社「鈴木商店」で働く父のもとに大阪で生まれ、「韋駄天おのぶ」として元気に育った小松暢。大阪の女学校を卒業した後に東京で6歳年上の日本郵船社員・小松総一郎と出会い、最初の結婚をしています。実父も総一郎もともに高知出身だったそうで、これが高知で育ったやなせたかしとの縁に繋がっていきます。
終戦直後、総一郎を病気で亡くした暢は、高知が父の郷里だった縁もあり高知新聞社に入社。同社初の女性記者として編集部に所属した際に、後から入社してきたやなせたかし(本名・柳瀬嵩)と出会っています。
長らく軍隊に従属し、ようやく日本に帰ってきて高知新聞社で働き始めたやなせたかしは、向かいの席に座っていた美人の先輩社員・小松暢のことをすぐに好きになってしまったようです。
やがて暢は「代議士の秘書になる」という理由で高知新聞社を退社して上京。やなせたかしも暢の後を追って東京に出ると、ともに暮らし始めた二人は間もなく結婚をしています。小松暢にとっては二度目の結婚(再婚)ということになります。
一般的に使われる「小松暢」という名前(姓)も、最初の結婚相手である小松総一郎のものですね。