NHK連続テレビ小説「あさが来た」で宮﨑あおいが演じるヒロインの姉「今井はつ」についてまとめます。「今井はつ」にはモデルとなった実在の人物が居ますので、併せてまとめます。
ダブルヒロイン?美人姉・はつ
「あさが来た」に登場する今井家は、京都で代々続く豪商。名家の長女として生まれたはつ(宮﨑あおい)は、オテンバ娘の妹・あさ(波瑠)とは対照的に、琴や裁縫が得意な慎ましく美しい女性として育ちます。
今井家の女は、幼い頃から許嫁が決められる定めにあります。はつは大阪の老舗両替屋・山王寺屋の長男である眉山惣兵衛(柄本佑)のもとへ嫁ぐことになるのですが、この嫁ぎ先で、はつ・あさの仲良し姉妹は対照的な人生を歩んでいくことになります。
▼宮﨑あおいといえば、大河ドラマ「篤姫」を大ヒットさせた立役者。NHKに対する貢献度は大。
嫁いだ老舗両替屋・山王寺屋は没落
はつが嫁いだ眉山家(山王寺屋)は、大阪でも有数の老舗両替屋。エキセントリックな姑・菊(萬田久子)の影響もあり、はつはなかなか眉山家に馴染めません。おまけに山王寺屋は明治維新の混乱期に旧態依然の両替商という業種に固執し、ついに山王寺屋は倒産してしまいます。
「第二のヒロイン」と目される宮﨑あおいの見せ場は、山王寺屋の倒産、そして失踪という展開の中にあります。大阪有数の豪商に嫁いだはつでしたが、眉山家の没落により、世間から身を隠すような厳しい暮らしに身を落とします。また、夫との間に愛情が芽生え子供を授かるものの、その夫が失踪するなど苦難が続きます。
ただし、はつの今後の人生は暗いだけのものではなさそうです。眉山一家は、百姓として暮らす貧しいながらも生き生きとした生活の中に、少しずつ幸せを見出していく展開になっていきます。物語では、はつの二人の息子の「その後の人生」についても描かれる見込みです。
今井はつのモデルは広岡浅子異母姉「三井春」
ヒロインの姉・今井はつのモデルとなっている人物が、明治を代表する女性起業家・広岡浅子(あさのモデル)の異母姉・春です。
「あさが来た」の原案である小説「土佐堀川」によれば、春は名家・三井十一家の系統である三井高益の娘。
高益の正室の死後に、一時的に高益の身の回りの世話をした女中との間に生まれた子でした。その女中は春を生んだものの産後の肥立ちが悪く、間もなく亡くなっています。その後に、広岡浅子の実母である貞が継室として高益と連れ添い、異母妹となる浅子が生まれています。
幼い頃から商いや学問に興味を示していた浅子とは対照的に、春は商いには興味を示さず、縫い物や料理などが得意な穏やかな女性だったようです。
名門・大阪天王寺屋に嫁いだものの…
春は妹の浅子(大阪・加島屋へ嫁いだ)と同時期に、大阪今橋の名門両替商・天王寺屋の五兵衛に嫁いでいます。(より御家として重要度の高い加島屋・広岡家のほうに浅子を嫁がせたという説あり)
小説「土佐堀川」によれば、春は天王寺屋に嫁ぐと次々に子どもを産み、女性としての幸せに満ちた生活を送ります。しかし、やがて維新の混乱期に天王寺屋は没落。ついには倒産により負債を抱えて店を差し押さえられ、一家で貧民窟のような谷町長屋へと転がり込んでいます。
小説では、この時期に加島屋で商才を発揮し始めていた浅子が、没落した春一家を訪ねる場面が描かれています。春の夫・五兵衛が天秤棒一本で物売りを始めたと聞いた浅子は、人に恨みを持たず、焦らずにもう一度店を持つように精を出せ、と励ましています(このあたりの描写は小説としての脚色があると思われます)。
春のその後の人生 天王寺屋の子孫は…
小説では春のその後の人生は描かれていませんが、残念ながら春は嫁いで7年後の1872年(明治5年)に25歳(27歳とも?)の若さで病死したとされます。(※三井春という人物の詳しい記録は残されていないため、「あさが来た」でのはつのエピソード、人生はフィクションの部分が多くなると思われます。)
天王寺屋も明治中期には御家が断絶しており、その子孫は現在残っていないとのこと(追記:一部報道で子孫が現存するとの情報もあるようです。詳しいことがわかり次第追記します)。