NHK連続テレビ小説「あさが来た」ヒロイン・今井あさ(後に白岡あさ)の生家である京都・今井家のモデルとなった三井家についてまとめます。
あさは大阪の古い商家に嫁ぐことになるわけですが、生まれた家もまた、由緒ある豪商でした。
京都の豪商・今井家は三井家がモデル
あさが生まれた京都・今井家は、代々呉服屋と両替屋を営んできた京都の豪商という設定。朝ドラ史上でも屈指の、名家に生まれ育った「お嬢様ヒロイン」です。
この今井家は、あさのモデルとなった実在の女性実業家・広岡浅子の生家である三井家がモデル。現在でも「三井グループ」の名前は企業名等でよく耳にすると思いますが、浅子が生まれ育った家はその三井一族の一員でした。
三井十一家のひとつ・油小路三井家
浅子の生家は三井十一家のひとつ「京都・油小路三井家」あるいは「出水家」と呼ばれ、維新後に東京・小石川に移ったことから「小石川三井家」とも呼ばれます。「油小路三井家」は、三井家の祖である三井高利の十男・高春の家系。浅子の父・高益は十男高春から数えて六代目の当主でした。
そもそも「三井家」の源流は古く、始まりは平安時代ともいわれます。その後、江戸初期に伊勢・松坂から出て江戸・京都に「三井越後屋呉服店」を開き、類い稀な商才から大きな財を成した三井高利が三井家の祖となり、高利の子供十一人によって「三井十一家」が形成されます。
「三井十一家」は高利の遺した家訓により、十一家が相互に守り合う「大元方」という制度を守ります。財産は子供たちに分割せず一族共有のものとし、商いも一族が共同で経営にあたり、複数の事業、店舗によりリスクヘッジし、一族の危機を乗り越えるシステムを創りあげました。
三井銀行、旧三井物産、三越…
▲日本で初めて「デパートメント宣言」をした三越。写真は三越銀座。
Photo by: Guilhem Vellut
初代高利から続く「越後屋呉服店」と両替商を主な家業とし、江戸時代を通して繁栄した三井家ですが、明治維新以降の日本の近代化により新しいビジネスが家業の中心となっていきます。
幕末に倒幕運動が盛んになると、三井家は情報収集により明治新政府側に勝機があると見て、倒幕側に資金提供を行います。こうした時代の先読みが当たったこともあり、三井家は新政府から「三井組御用所」(御為替方御用所)の役割を引き受けたほか、後に小野組とともに日本初の銀行「第一国立銀行」を設立。明治9年(1876)には明治政府から認可を得て、日本初の民間銀行「三井銀行」(現:三井住友銀行)を開業させています。
また、「旧三井物産」(法的には現在の三井物産と継続性はなく、別の企業体)、「越後屋呉服店」の流れを汲む「三越呉服店」(三越=「三井」+「越後屋」が名称由来。現:三越伊勢丹。)なども三井家・三井グループから生まれた企業として知られます。
名門・豪商が次々に没落した時代
ドラマ「あさが来た」では、あさが嫁ぐ「白岡家(加野屋)」、はつが嫁ぐ「眉山家(山王寺屋)」、そして生家の「今井家」と、名門三家がそれぞれ時代の荒波とどう向き合うかが注目されます。
史実でも江戸時代からの多くの豪商が明治期の政治・経済体制の変化、近代化に対応できず次々に没落しており、商いには大変厳しい時代だったことがうかがわれます。
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