NHK連続テレビ小説「あさが来た」第14週から15週にかけて初登場する榮三郎(桐山照史)の妻・さち(柳生みゆ)。
この記事では、白岡さちのモデルとなっているであろう広岡(長田)なつという人物についてまとめます。
九代加島屋久右衛門の妻・なつ 出身は?
白岡榮三郎のモデルとなっているのは、加島屋第9代当主・広岡正秋です。その妻・広岡なつ(旧姓長田)が、白岡さちのモデルになっていると考えられます。
広岡なつは、1851年(嘉永4年)生まれ。加島屋久右衛門家と同様に大阪の老舗商家だった「長田家」の娘で、父は長田作兵衛(加島屋作兵衛)です。
この長田作兵衛という人物ですが、正式な文献での確認はとれていないのですが、恐らく加島屋の二系統あった家系「加島屋久右衛門家(広岡家)」と「加島屋作兵衛家(長田家)」のうちの一系統ではないかと思います。
名門商家同士の結婚
長田家は1870年(明治3年)に鴻池、広岡家と共同で貿易商社「尽力組」を起こしています。また、長田家単独企業として巨川会社・長田組商社を設立し、金融業や荷問屋類似の物産商社を営むなど、名門商家として維新期の混乱を何とか乗り越えていたようです。
正秋となつが結婚したのが1881年(明治14年)のことですから、新しい時代を生き残るためにも、名門商家同士の結びつきを強める意味合いを持つ結婚だったことが想像出来ます。あるいは、広岡信五郎と浅子のように両家取り決めの「許嫁」だったのかも知れませんね。
一人娘・郁子 夫は十代当主
正秋となつの間には一人娘・広岡郁子が生まれています。郁子は広岡浅子が設立に尽力し、正秋も発起人となった日本女子大学校に入学しています。また、後に旧鳥取藩士・三澤立身の六男である正直と結婚しています。この正直は広岡家に婿入りし、加島屋第十代当主・加島屋久右衛門(広岡正直)となっています。
「あさが来た」で榮三郎、さち夫婦の娘についてどこまで描くかはわかりませんが、今後榮三郎は加野屋が創設する新しい銀行の要職に就くことが予想され、妻であるさちの存在も重要になってくると思われます。
ドラマではあさと新次郎夫婦が目立ちますが、あくまで加野屋当主は榮三郎。さちが娘を産む展開となれば、加野屋の後継者問題にも影響を与えそうで、このあたりも楽しみです。