NHK連続テレビ小説「ばけばけ」は、明治時代に活躍した作家の小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)、小泉セツ夫婦をモデルとした物語です。
ヒロインの松野トキが松江にやってきたレフカダ・ヘブンと後に結婚することは確定していますが、史実を参考にすれば、トキはそれよりも前に一度結婚と離婚を経験することになりそうです。
この記事では、トキ、ヘブンの「最初の結婚相手」をまとめるとともに、史実モデル・セツと八雲の結婚・離婚歴をまとめます。
【ドラマ展望】トキの最初の結婚相手 山根銀二郎(寛一郎)が婿入りか
【#ばけばけ人物紹介】
— 朝ドラ「ばけばけ」公式|9月29日(月)放送開始 (@asadora_bk_nhk) August 7, 2025
山根銀二郎(やまね ぎんじろう):#寛一郎
トキのお見合い相手。
鳥取県因幡の貧窮足軽の次男として生まれ、極貧生活の中で育つ。
厳格な父のしつけのもと、時代が変わってもなお、武士としての生き方を貫いていた。
趣味は浄瑠璃や怪談。#ばけばけ #9月29日スタート pic.twitter.com/DCPQQ3dCdF
松江藩の元上級武士(士族)の家柄である松野家の一人娘として育ったヒロインのトキ(髙石あかり)。松野家は武士のプライドを引きずって維新後の新しい世の中になかなか馴染めず、借金を抱える貧乏暮らしを続けています。
やがて年頃になったトキのもとに、縁談が舞い込むようになります。第2週では遠縁の親戚である雨清水家の手引きによりトキがお見合いに臨む様子が描かれていきます。
一度目の中村家(元上級士族の息子・中村守道)とのお見合いに失敗してしまい落ち込むトキでしたが、二度目の見合い相手の山根銀二郎(寛一郎)とは、大好きな「怪談」を通じて意気投合していくことになります。
山根家は旧鳥取藩主に仕えた武士の家柄で、父の鉄作、息子の銀二郎ともにいまだに髷を結うなど古風な家柄。武士としてのプライドを大切に守ってきた松野家とも価値観が合いそうです。
史実を参考にすれば、この山根銀二郎という好青年がトキの最初の結婚相手になることが予想されます。
おそらく婿入りして松野家で生活をすることになるであろう銀二郎。とはいえ松野家は商売下手で多くの借金を抱えており、このことが夫婦関係に大きな亀裂を生じさせていきそうです。
誠実な好青年・銀二郎がどのような過程で松野家と決別し、トキと距離が出来てしまうのか、その描き方が注目されます。愛し合う二人だったはずがもう元には戻れない…。そんな切ない夫婦関係が綴られていきそうです。
★ヘブンも離婚歴あり
銀二郎は松野家の経済的事情などに苦しんだ末に出奔してしまい、やがてトキと離婚することが予想されます。
一方、トキの「運命の人」であるレフカダ・ヘブン(トミー・バストウ)も、アメリカ・オハイオ州の新聞記者時代に一度目の結婚と離婚を経験しているようです(お相手は黒人にルーツを持つ女性・マーサ)。
ネタバレとなってしまうので詳細は書きませんが、第11週でヘブンの口からその過去が語られそうです。当時のオハイオ州では違う人種との結婚は州法で禁止されており、これが原因でヘブンは悲しい別れを経験しているようです。

▼「虎に翼」も「あんぱん」も、ヒロインが二度結婚しているという共通点あり。
【史実モデル】小泉八雲とセツは再婚同士 セツの最初の結婚相手は?

ヘブンとトキのモデルになっている小泉八雲・セツ夫妻。
ドラマと同様に、教師として松江に招聘されたラフカディオ・ハーン(後の小泉八雲)をセツが「女中」として世話したことから親密になり、二人は結婚をしています。
1890年(明治23年)、ハーン40歳、セツ22歳の時に二人は出会っていますが、この時点で二人にはすでに結婚・離婚歴がありました。
松江藩の士族・稲垣家の一人娘(養子)として育ったセツは、1886年(明治19年)、18歳の時に鳥取の士族の家柄である前田為二(まえだ・ためじ)とお見合いをして結婚。為二は稲垣家に婿養子として迎えられています。この前田為二という人物が「ばけばけ」山根銀二郎のモデル人物ですね。
セツが育った稲垣家は士族の考えが抜けずに事業は失敗続き。家計は大変に苦しく火の車でした。さらに稲垣家の厳格な家風にも馴染めなかった為二は、結婚から一年ほどで生活に嫌気が差してしまい、稲垣家から出奔(逃亡)しています。
セツは為二の逃亡先だった大阪に単身向かい、為二に対して復縁を説得しましたが実らず。結局一人で松江に戻っています。
これ以降、セツは養父母、養祖父、さらに自分の実母(小泉チエ)を針仕事と機織仕事で養おうと孤軍奮闘。結局結婚から4年後の1890年(明治23年)1月に、セツと為二の離婚が成立しています。
ハーンが松江にやってきたのは、その直後、1890年の夏のことでした。
【史実モデル】ハーン(八雲)もアメリカ時代に結婚・離婚歴あり
1890年、日本の滞在記を書くためにアメリカから日本に渡った記者・ラフカディオ・ハーン(後の小泉八雲)は、横浜に到着した後に派遣先の「ハーパー・アンド・ブラザーズ社」と契約上の問題で揉めて決別。
ハーンは知人たちの斡旋もあり、松江の尋常中学校と師範学校の英語教師として招聘され、1890年の夏に初めて松江の地を踏んでいます。
この時点で、ハーンにはすでに結婚、離婚歴がありました。
来日から16年前の1874年、アメリカ・シンシナティ(オハイオ州)の新聞社「インクヮイアラー社」で記者として働いていた八雲はアリシア・フォリー(通称・マティ)という女性と最初の結婚をしています。
このマティという女性は黒人奴隷と白人農場主との間に生まれた「混血」の女性でした。マティは下宿先で料理を担当していた美しく優しい女性だったそうで、人付き合いが下手なハーンの良き理解者でした。
しかし、当時のオハイオ州の州法では、白人と有色人種との結婚は認められていませんでした。二人の結婚届が正式に受理された形跡はなく、結婚式は最初に頼んだ牧師から拒絶されてしまい黒人牧師が執り行ってくれるなど、障壁だらけの結婚だったようです。
この異人種による結婚を理由にハーンが「インクヮイアラー社」を解雇されたこと、それに当時のハーンが多忙すぎたこと、マティが子供っぽく何かとトラブルメーカーだったことなども重なり、二人はやがて別居。1877年に離婚が成立しています。
ハーンはこの離婚以降、特定の女性と交際関係に至るようなことはなく、松江で小泉セツと出会うまでは独身を貫いていました。
「ばけばけ」ではこうした史実を参考に、トキとヘブンの最初の結婚に関するストーリーが創作されています。
