【いだてん】金栗四三のオリンピック渡航費用「1,800円」 明治45年当時の物価、現在だといくら?

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NHK大河ドラマ「いだてん」より。オリンピック出場が決まった金栗四三は、ストックホルムへの渡航費用1,800円の工面に悩むことになります。

この記事では、明治45年(1912年)当時の1,800円の貨幣価値、当時の物価感覚などをまとめます。

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目次

四三、渡航費用1,800円を自分で用意することに

三島弥彦(生田斗真)とともに日本初のオリンピックへの出場が決まった金栗四三(中村勘九郎)。しかし、当時はまだまだ「スポーツ」「オリンピック」という概念が社会に浸透しておらず、自身で現地までの渡航費用と滞在費を工面しなければなりませんでした(大日本体育協会も支払わなかった)。

現地までの旅費と滞在費は、どう切り詰めても一人1,800円は必要。お金持ちの家の生まれである三島弥彦はともかく、農家出の一学生である四三にとってはとてつもない大金です。

※「いだてん」では、この時点で嘉納治五郎が借金10万円を抱えていることも描かれるようです。

渡航費用1,800円は現在の550万円?

明治33年(1900年)を1.00とした「消費者物価指数」では、明治45年は1.28。現在とほぼ同水準の平成15年(2003年)は3918.9であり、現在の物価指数は明治45年のおよそ3000倍ちょっとということになります。

この数字から単純計算すると、四三の渡航費用1,800円は現在の約550万円くらいということになります。貧乏学生にはとても用意できる額ではありませんね。

嘉納治五郎の借金10万円にいたっては現在の3億円に相当することになり、もう笑うしかない額です。

明治45年当時の物価感覚

「消費者物価指数」だけでは当時の生身の物価感覚がわかりずらいので、参考までに明治45年当時の「物の値段」を列挙してみます。

・国家公務員初任給(高等官制時代・月額)…55円 ※明治44年
・小学校教員初任給(東京・月額)…10円〜13円 ※明治40年

・東京帝国大学の学費(入学年次・1年分)…50円

・鉄道(新橋〜大阪間)運賃…3円97銭 ※明治44年
・鉄道(山手線初乗り)運賃…5銭

・富士屋ホテル(大人1人1泊・2食付き)…13円 ※明治44年

・銭湯入浴料(東京・大人)…3銭 ※明治43年
・男の理髪料(東京・大人)…10銭 ※明治42年

仲間や家族の協力で1,800円が集まる

四三の渡航費用1,800円は、当時のエリート国家公務員初任給の30ヶ月分以上、小学校の先生の初任給の実に10年分以上。

高級旅館「富士屋ホテル」に138泊でき、東京大阪間を220回以上往復でき、床屋に1万8000回行けて、東京帝大に36年間も通えてしまいます。

一家の期待を受けて官費により東京高等師範学校に進学できた四三にとって、1,800円という額がいかに途方もないモノだったかがわかります。

四三の家族や周囲の仲間たちは、四三のオリンピック出場を全面的に応援してくれることになります。

東京高師で四三の後援会が立ち上がるとOB、職員、学生らによるカンパで1,500円が集まり、これに金栗家が工面した300円が足され、遠征費の問題は無事解決することになるのです。

「いだてん」では、四三のマラソン活動に反対していた兄・実次(中村獅童)が全面的にオリンピック出場を応援してくれるようになるとのことで、物語の見どころの一つとなります。

▼この記事の物の値段、数字は「物価の文化史事典」からピックアップしています。テレビでおなじみの森永卓郎氏監修。物の値段とそれにまつわる世相、経済事情などが詳しく語られ、読み物としても楽しめます。

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