10月26日(日)放送のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」より。この週のタイトルは「如水誕生」。黒田官兵衛(岡田准一)が自らを「如水(じょすい)」と名乗るようになった経緯が描かれます。
この記事では、官兵衛が如水と名乗った理由や命名由来、今も大分県中津市に残る如水の地名などについてまとめます。
朝鮮出兵→撤退→秀吉激怒→蟄居
ここのところ豊臣秀吉(竹中直人)との不和が続いていた官兵衛。朝鮮出兵における漢城(現在のソウル)からの撤退、そして「無断帰国」の件で、ついに秀吉の逆鱗に触れてしまいます。
これは秀吉の怒りの矛先が自らに向かわないようにと、石田三成(田中圭)が官兵衛へと仕向けた「罠」。怒り狂う秀吉の前で官兵衛は弁解することも出来ず、結局官兵衛は蟄居(ちっきょ=刑罰の一種。閉門の上で自宅謹慎)を命じられてしまいます。
千利休(伊武雅刀)が秀吉から蟄居を言い渡された末に切腹を命じられた件も記憶に新しく、今度ばかりは官兵衛の命に保証はありません。
ある日、秀吉により大阪城に呼び出された官兵衛。剃髪し、本日をもって「如水円清(じょすいえんせい)」と名乗ると言い出した官兵衛に、秀吉は相変わらず怒りが収まりません。
頭を剃り出家、如水円清と名乗る 名前の意味
「如水円清」という名前(号)の由来を秀吉に説明する官兵衛。それによれば、
「身雖在毀誉褒貶之間 心如水清」
=身は褒貶毀誉(きよほうへん)の間に在りと雖(いえど)も、心は水の如く清し。
つまり、「人からどう言われようとも、心は水の様に澄んでいる」という意味。なんと言われようとも、自身のこれまでの行動は何ら間違っていない。ただし、それを貫いて今死ぬわけにはいかない…。何としてでもこの命を救って欲しいと、官兵衛は秀吉に訴えかけます。
さらに、「如水円清」にはもう一つの意味がある、と官兵衛は言います。
「水従方円之器」
=水はいかようにも形を変える。
黒田官兵衛という「水」を活かすも殺すも、それを使う側の太閤・秀吉次第である、と。
利休のように意地を貫いた末に切腹によって命を終えるよりも、這いつくばってでも生かされてこそ、自身の命の使い道があるー。如水という名前には、落命の危機にあった官兵衛の切実な訴えが込められていたのです。
隠居を許される 淀君の一声?
結局、官兵衛自身の助命の訴え(秀吉はこれを見て「人を食った男」と表現)、それに北政所(黒木瞳)、小早川隆景(鶴見辰吾)、淀(二階堂ふみ)といった多数の者からの助命懇願も実り、官兵衛は隠居を許されることになります。
ドラマ上では、淀が待望の第二子(拾・ひろい=後の豊臣秀頼)を懐妊し秀吉が上機嫌だったこと、それに淀が生まれて来る子のためにも血を見たくないと願ったことが、官兵衛助命の大きな理由となるようです。
今も大分県中津市に残る「如水」の名
「黒田如水」という名前は、「官兵衛」という通称とともに後世に広く知られた名前です。
かつて黒田家の領地だった中津(現在の大分県中津市)には、「如水」と呼ばれた地域がありました。
現在でも周辺には「如水」の名のついた施設が多く残り(如水小学校、上如水貴船神社のほか、幼稚園、公民館、信用金庫などにその名が残る)、官兵衛の足跡を今に伝えています。
▼JR日豊本線「東中津駅」の南西部周辺に残る「如水」の名。「中津市立如水小学校」「中津市立如水幼稚園」などの文字が見える。周辺には如水郵便局も。