【軍師官兵衛】岡山・備中岡山城跡・高松城水攻め築堤跡 官兵衛が提案した土木大作戦の現場

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2014年1月8日放送のNHK「歴史秘話ヒストリア」軍師官兵衛特集で紹介された、天才軍師・黒田官兵衛ゆかりの地をご紹介しております。

この記事では官兵衛の痛快な作戦が実行された備中高松城(岡山県)について書き記したいと思います。

備中高松城といえば有名なのが、「高松城水攻め」。天正10年(1582年)、織田信長から中国攻めを任されていた羽柴秀吉は播磨を平定し、備中高松城へと進軍します。しかし高松城は周囲を沼地で囲まれた天然の要塞。秀吉軍の兵士はぬかるむ湿地帯に足を取られ、苦戦を強いられます。

そこで軍師・官兵衛がある作戦を提案します。城の周囲に堤を造り、付近を流れる川を塞き止め水を引き込み、水攻めをするという大掛かりな作戦でした。折しも季節は梅雨の時期。この作戦が功を奏し、敵軍はみるみる戦意を喪失することとなります。

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今も残る「水攻め」堤跡

全長3キロにも及ぶ堤の大工事はわずか11日で完了しました。この軟弱な湿地帯における工事では、堰堤の基礎となる土の俵を積み重ねるため外枠に杭を打ち込むという、現在の土木技術にも通じる工夫がなされました。また、増水のため川の水の塞き止めが難航した際は、木舟に石を積み、それらを水面に一列に並べて一気に破壊して沈めることで、水流を弱めるという工夫も。

智将で知られた官兵衛の策士ぶりが見事に発揮され、備中高松城は水没します。これにより敵の士気は落ち、戦いの勝敗は決します。

その直後、織田信長が本能寺の変で討たれ、秀吉軍は「中国の大返し」と呼ばれる強行軍により近畿に向かうことになります。その後、秀吉は天下を取ることになるわけですが、この備中高松城での攻防はその直前の出来事であり、日本の歴史の大きな転換点の時期だったと言えます。

▲官兵衛が指揮した「水攻め堰堤」の跡。かつては5mの高さがあったそうですが、現在では1mほどに。
Photo by Reggaeman

残念ながら備中高松城は1600年代に廃城し、現在では城の石積みの一部と、水攻め堰堤の名残が残るのみ。本丸のあった付近は「本丸跡公園」として、堰堤跡は「高松城水攻め史跡公園」として整備されており、戦国時代の残り香を感じることが出来ます。

備中高松城趾DATA:
住所:岡山県岡山市北区高松558-2
アクセス(電車):高松城趾 → JR西日本吉備線備中高松駅下車・北へ徒歩10分 水攻め築堤跡 → 同備中高松駅下車・東へ徒歩5分ほど

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