NHK連続テレビ小説「マッサン」第7週より。第7週は、家賃が払えずにマッサン夫婦が直談判をしに行った家主・野々村一家とのエピソードを軸にしてストーリーが進みます。
この記事では第7週で起こる野々村家での出来事と、野々村氏のモデルになったであろう人物についてまとめます。
大地主・野々村家 エリーは英語教師にスカウトされる
家賃が払えず、帝塚山の大邸宅に住む家主・野々村茂(神尾佑)の元を訪れたマッサン(玉山鉄二)とエリー(シャーロット・ケイト・フォックス)。そこでエリーは、野々村家の二人の娘、幸子(田中葵)とナツ(吉田暖)が「聖アンデレ教会」の歌声教室で出会った姉妹であることを知ります。
野々村氏は姉妹と仲良く話すエリーの姿を見て、子供たちに英語を教えてくれるのなら家賃の支払いを待ってもいい、と温情をかけます。もちろんエリーはこれを快諾。エリーの家庭教師生活が始まります。
野々村氏は前妻(上嶋彩記子)を3年前に亡くし、女中だった由紀子(愛原実花)を後妻として迎えています。しかし、姉妹の姉・幸子は由紀子のことを未だに「お母さん」と呼べず、家庭内には気まずい空気が流れていました。英語のレッスンを引き受けたエリーは、またしても「お節介」をはたらきかけ、野々村家のわだかまりを溶かそうと画策をします…。
野々村茂のモデルは芝川又四郎氏か
帝塚山の家主・野々村氏には、モデルとなったであろう人物が居ます。
英国留学から帰国した竹鶴政孝・リタ夫妻は、勤めていた摂津酒造(住吉酒造のモデル)社長・阿部喜兵衛が用意させた帝塚山姫松の一軒家に入居しています。この時の大家が芝川又四郎という人物で、ドラマの野々村氏のモデルではないかと思われます。
芝川家は土地持ちの資産家で、当時は帝塚山に住み竹鶴家と家族ぐるみの付き合いがありました。芝川又四郎の娘たちは近所に住むリタから英会話を習っていたそうです。
大日本果汁設立・出資者の一人
芝川又四郎と竹鶴政孝の縁はこれだけではありません。後年、竹鶴が大日本果汁株式会社(後のニッカウヰスキー)を設立し工場建設を行なう際に、芝川又四郎は出資者の一人となり、竹鶴の夢を支えることになります。
この時の出資者は芝川又四郎の他に、加賀証券社長・加賀正太郎、英国時代からの知り合い・柳沢保恵伯爵が居ました。いずれも竹鶴とは古い付き合いであり、竹鶴の人柄、性格を良く知った人物たちでした。
芝川氏ゆかりの建築物「芝川ビル」「旧芝川又右衛門邸」
芝川又四郎は、大阪市中央区に現存し国登録有形文化財にもなっている「芝川ビル」(1927年、昭和2年竣工。大阪市中央区伏見町3-3-3)を建てた人物としても知られます。
また、芝川又四郎の父・芝川又右衛門が建築家・武田五一に設計を依頼した洋館「芝川又右衛門邸」は、現在愛知県の「博物館明治村」に移築・復元されており、見学することができます。
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