この記事は 北海道開拓の父・クラーク博士の来日物語 NHK歴史秘話ヒストリアまとめ1 からの続きです。
北海道開拓の指導者を養成するために「札幌農学校(現在の国立北海道大学)」の初代教頭として招かれ、北海道開拓の歴史に大きく関与した偉人・クラーク博士。
クラーク博士が特集された「NHK歴史秘話ヒストリア 北海道開拓の父・クラーク博士の来日物語」の回では、クラーク博士に関して、興味深いエピソードが三つ紹介されました。
ひとつは有名な観光地、札幌の時計台について。時計台はもともと「演武場」としてクラークが建設を命じたものでした。一階は通常の教室で、二階に軍事訓練場、武器保管部屋がつくられました。
当時、日本では西南戦争が勃発し、戦国時代さながらの不穏な空気が世に流れていました。クラークは南北戦争で命を落とした自分の生徒達が、兵士としての訓練を受けていなかったことを悔いており、札幌農学校の生徒達には同じような悲劇を繰り返さないで欲しいという想いがありました。現在時計台として親しまれているあの建物は、札幌農学校の生徒達に対するクラークの愛が詰まったものだったのです。
▲風船がふくらんだようなバルーンフレーム構造の札幌時計台内部。
ここが軍事訓練場だった。奥の額縁に「演武場」の文字が残る。
By: MIKI Yoshihito
名言 Boys, be ambitious には続きがあった
クラーク博士といえば「Boys, be ambitious(ボーイズ ビー アンビシャス=少年よ大志を抱け)」という名言があまりに有名ですが、実はこの言葉には続きがあったそうです。
この言葉、クラークが帰国の際に馬上で生徒達に叫んだ言葉なのですが、正確には「Boys, be ambitious like this old man.(=少年よ大志を抱け この老人のごとく)」だったということが、生徒が書き残した記録に残っています。自らの人生に誇りを持っていなければ言えない、素晴らしい贈り言葉です。
羊ヶ丘のクラーク像は近年建てられたもの
現在観光地として多くの人が訪れる、羊ヶ丘展望台のクラーク像。実はこの像は昭和51(1976)年に建てられたもので、もともとは大正15(1926)年に建てられた札幌農学校構内の胸像こそが「クラーク像」でした。
この元祖クラーク像、戦時の金属不足で差し出されてしまい失われますが、戦後に再建されています。北海道大学、羊ヶ丘展望台の二つのクラーク像は、北海道開拓精神の象徴として愛され続けています。
▼北海道大学のキャンパス内にある元祖「クラーク胸像」。その近くには学食やコミュニティスペースがある「クラーク会館」という建物があります。
▼こちらは羊ヶ丘展望台にある「クラーク博士像」。後発ですが、現在はこちらの方が有名ですね。はるか原野を指差すクラーク博士の勇姿が羊ヶ丘の広大な風景とマッチしており、観光地として人気となっています。