NHK連続テレビ小説「おむすび」に登場するヒロインの祖父・米田永吉(松平健)は、地元のプロ野球球団「福岡ダイエーホークス」(パ・リーグ)の大ファンです。
現在は「福岡ソフトバンクホークス」として球界一の強さを誇るホークスですが、永吉さんが応援している2004年(平成16年)当時のホークスがどのようなチーム状況だったのかを簡単にまとめておきます。
1989年に福岡へ移転 福岡ダイエーホークス(FDH)
朝ドラ「おむすび」の物語は、ヒロインの結(橋本環奈)が地元である福岡県の糸島東高校に入学する2004年(平成16年)からスタートします。
劇中で目立つのが、結の祖父・永吉(松平健)や地元の商店主・草野誠也(原口あきまさ)、大村伸介(斉藤優)らによる地元球団・ホークス推しです。
永吉は「FDH」と書かれた帽子やハッピを愛用しており、当時のホークスがまだ「福岡ダイエーホークス」だったことが読み取れます。
【#朝ドラおむすび 登場人物紹介】
— 朝ドラ「おむすび」公式🍙9/30スタート (@asadora_bk_nhk) September 2, 2024
🍙米田永吉(よねだ えいきち):#松平健
主人公・結(ゆい)の祖父。
野球のホークスファンで、自由奔放な“のぼせもん”。
困っている人がいたら放っておけない、情に厚い性格。#朝ドラ #9月30日スタート pic.twitter.com/BBJ9vkUltg
★「ホークス」身売りと移転の経歴
1988年…南海がダイエーに球団売却。大阪から福岡に移転が決定。
1989年…福岡・平和台球場を本拠地とした「福岡ダイエーホークス」が誕生。
1993年…福岡ドーム開業。
1999年…王貞治監督のもと、福岡移転後初の優勝、日本一に。以後常勝軍団に。
2004年…ダイエーが自主再建を断念。ソフトバンクに球団売却。
2005年…「福岡ソフトバンクホークス」が誕生。
ホークスは昭和時代から「南海ホークス」として長らく大阪を本拠としてきましたが、1988年(昭和63年)に球団オーナーだった南海電鉄の川勝傳が死去すると、ダイエーへの球団売却が決定。かつて西鉄ライオンズが使っていた福岡市の平和台球場に移転し、「福岡ダイエーホークス」に生まれ変わっています。
福岡移転から4年後の1993年(平成5年)には福岡ドーム(現・みずほPayPayドーム福岡)が完成し、ホークスは同球場に本拠地を移転。
球団が福岡に移転してから数年はBクラス(4位〜6位。杉浦忠、田淵幸一、根本陸夫監督)に低迷していましたが、1995年(平成7年)に王貞治監督が就任して以降は、次第に強いチームに生まれ変わっていきます。
王貞治監督の就任5年目である1999年(平成11年)には福岡移転後初のリーグ優勝、日本一を達成し、これ以降は常勝軍団としての歴史を歩んでいきます。
永吉が応援する2004年のホークス 「ダイエー」最終年
1999年に王貞治監督のもと初優勝を果たしたホークスは、翌年以降も1位(2000年)、2位(2001年)、2位(2002年)、1位(2003年)と好成績を残していきます。
朝ドラ「おむすび」第1週の時代設定は2004年(平成16年)であり、永吉が応援している福岡ダイエーホークスはまさに黄金期初期の頃と言えます。
そして、永吉らが熱心に応援する2004年のホークスは、ちょうど「福岡ダイエーホークス」としての最終年を迎える年でもあります。
この年に親会社のダイエーは経営状態が悪化して自主再建を断念すると、ホークスをソフトバンクに売却することが決定。翌年には「福岡ソフトバンクホークス」に生まれ変わっています。
劇中で永吉が愛用する帽子とハッピが「ダイエーホークス(FDH)」から「ソフトバンクホークス(Sh)」に変化する姿が見られるかもしれません。
2004年当時の主力選手は井口、松中、城島、ムネリン…
2004年の「福岡ダイエーホークス」は就任10年目の王貞治監督のもと、77勝52敗4分(勝率.597)で勝率1位を記録するも、プレーオフで西武ライオンズに敗れて年間順位は2位に終わっています。
この年のホークスは、ショート・川崎宗則(.303・4HR・42盗塁=盗塁王)、セカンド・井口資仁(.333・24HR・89打点)、ファースト・松中信彦(.358・44HR・120打点=三冠王)、キャッチャー・城島健司(.338・36HR・91打点)、レフト・バルデス(.279・18HR・74打点)、指名打者・ズレータ(284・37HR・100打点)らが並ぶ超重量打線を誇っていました。
しかし、前年に主砲の小久保裕紀が無償トレードで巨人へ、主力の村松有人がオリックスへ移籍して戦力が低下していたほか、斉藤和巳、和田毅、新垣渚、杉内俊哉、三瀬幸司ら豪華陣容を誇る投手陣のチーム防御率が4.58を記録してしまうなど、どこか不安定な戦いを見せた一年でもありました。
この年以降、王貞治監督は優勝を勝ち取ることが出来ずに2008年をもって退任。2009年以降は秋山幸二、工藤公康監督のもと、チームは第二次黄金期を迎えることになります。
永吉が応援する2004年頃の福岡ダイエーホークスは、移転から10数年が経ちすっかり地元福岡での人気が定着し、チームが強くなり始めた時期でもあります。
川崎宗則、井口資仁、松中信彦、城島健司ら煌めく地元のスターたちが打ちまくるホークスに、永吉たち糸島の人たちは心酔していたわけですね。