朝ドラ「おむすび」永吉が応援する福岡ダイエーホークス(FDH) 2004年当時は強かった?メンバーは?

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NHK連続テレビ小説「おむすび」に登場するヒロインの祖父・米田永吉(松平健)は、地元のプロ野球球団「福岡ダイエーホークス」(パ・リーグ)の大ファンです。

現在は「福岡ソフトバンクホークス」として球界一の強さを誇るホークスですが、永吉さんが応援している2004年(平成16年)当時のホークスがどのようなチーム状況だったのかを簡単にまとめておきます。

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目次

1989年に福岡へ移転 福岡ダイエーホークス(FDH)

朝ドラ「おむすび」の物語は、ヒロインの結(橋本環奈)が地元である福岡県の糸島東高校に入学する2004年(平成16年)からスタートします。

劇中で目立つのが、結の祖父・永吉(松平健)や地元の商店主・草野誠也(原口あきまさ)、大村伸介(斉藤優)らによる地元球団・ホークス推しです。

永吉は「FDH」と書かれた帽子やハッピを愛用しており、当時のホークスがまだ「福岡ダイエーホークス」だったことが読み取れます。

★「ホークス」身売りと移転の経歴

1988年…南海がダイエーに球団売却。大阪から福岡に移転が決定。
1989年…福岡・平和台球場を本拠地とした「福岡ダイエーホークス」が誕生。
1993年…福岡ドーム開業。
1999年…王貞治監督のもと、福岡移転後初の優勝、日本一に。以後常勝軍団に。
2004年…ダイエーが自主再建を断念。ソフトバンクに球団売却。
2005年…「福岡ソフトバンクホークス」が誕生。

ホークスは昭和時代から「南海ホークス」として長らく大阪を本拠としてきましたが、1988年(昭和63年)に球団オーナーだった南海電鉄の川勝傳が死去すると、ダイエーへの球団売却が決定。かつて西鉄ライオンズが使っていた福岡市の平和台球場に移転し、「福岡ダイエーホークス」に生まれ変わっています。

福岡移転から4年後の1993年(平成5年)には福岡ドーム(現・みずほPayPayドーム福岡)が完成し、ホークスは同球場に本拠地を移転。

球団が福岡に移転してから数年はBクラス(4位〜6位。杉浦忠、田淵幸一、根本陸夫監督)に低迷していましたが、1995年(平成7年)に王貞治監督が就任して以降は、次第に強いチームに生まれ変わっていきます。

王貞治監督の就任5年目である1999年(平成11年)には福岡移転後初のリーグ優勝、日本一を達成し、これ以降は常勝軍団としての歴史を歩んでいきます。

永吉が応援する2004年のホークス 「ダイエー」最終年

1999年に王貞治監督のもと初優勝を果たしたホークスは、翌年以降も1位(2000年)、2位(2001年)、2位(2002年)、1位(2003年)と好成績を残していきます。

朝ドラ「おむすび」第1週の時代設定は2004年(平成16年)であり、永吉が応援している福岡ダイエーホークスはまさに黄金期初期の頃と言えます。

そして、永吉らが熱心に応援する2004年のホークスは、ちょうど「福岡ダイエーホークス」としての最終年を迎える年でもあります。

この年に親会社のダイエーは経営状態が悪化して自主再建を断念すると、ホークスをソフトバンクに売却することが決定。翌年には「福岡ソフトバンクホークス」に生まれ変わっています。

劇中で永吉が愛用する帽子とハッピが「ダイエーホークス(FDH)」から「ソフトバンクホークス(Sh)」に変化する姿が見られるかもしれません。

2004年当時の主力選手は井口、松中、城島、ムネリン…

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2004年の「福岡ダイエーホークス」は就任10年目の王貞治監督のもと、77勝52敗4分(勝率.597)で勝率1位を記録するも、プレーオフで西武ライオンズに敗れて年間順位は2位に終わっています。

この年のホークスは、ショート・川崎宗則(.303・4HR・42盗塁=盗塁王)、セカンド・井口資仁(.333・24HR・89打点)、ファースト・松中信彦(.358・44HR・120打点=三冠王)、キャッチャー・城島健司(.338・36HR・91打点)、レフト・バルデス(.279・18HR・74打点)、指名打者・ズレータ(284・37HR・100打点)らが並ぶ超重量打線を誇っていました。

しかし、前年に主砲の小久保裕紀が無償トレードで巨人へ、主力の村松有人がオリックスへ移籍して戦力が低下していたほか、斉藤和巳、和田毅、新垣渚杉内俊哉三瀬幸司ら豪華陣容を誇る投手陣のチーム防御率が4.58を記録してしまうなど、どこか不安定な戦いを見せた一年でもありました。

この年以降、王貞治監督は優勝を勝ち取ることが出来ずに2008年をもって退任。2009年以降は秋山幸二、工藤公康監督のもと、チームは第二次黄金期を迎えることになります。

永吉が応援する2004年頃の福岡ダイエーホークスは、移転から10数年が経ちすっかり地元福岡での人気が定着し、チームが強くなり始めた時期でもあります。

川崎宗則、井口資仁、松中信彦、城島健司ら煌めく地元のスターたちが打ちまくるホークスに、永吉たち糸島の人たちは心酔していたわけですね。

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