「虎に翼」BBS運動がモデル 直明が参加するボランティア団体「東京少年少女保護連盟」

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NHK連続テレビ小説「虎に翼」第11週より。大学生になっていた寅子の弟・直明が参加するボランティア団体「東京少年少女保護連盟」が、思わぬ形で寅子の仕事を助けることになります。

直明が参加している「東京少年少女保護連盟」は、戦後に宇田川潤四郎が主導したBBS運動(大兄姉運動)から派生した実在の学生連盟、ボランティア活動がモチーフになっていると思われますので、簡単にご紹介します。

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目次

【虎に翼】直明が関わるボランティア団体「東京少年少女保護連盟」

1948年(昭和23年)。寅子は「家庭裁判所設立準備室」に配属されると、翌年に設立されることが決まっている家庭裁判所の準備、各機関との調整作業に追われていました。

家庭裁判所はGHQからの提案により、刑事を扱う少年審判所(現在の法務庁が管轄)と民事を扱う家事審判所(現在の最高裁が管轄)を合併した上で生まれる新しい裁判所です。

もともと管轄も性質も違う2つの審判所をなかば強引に合併させる形になるため、プライドが高い東京少年審判所長の壇と東京家事審判所長の浦野は合併に猛反対をしており、家庭裁判所の実現は暗礁に乗り上げていました。

家庭裁判所の設立期限まで一ヶ月を切った頃。大学生になっていた寅子の弟・直明(三山凌輝)が関わっているボランティア団体「東京少年少女保護連盟」の学生たちが設立準備室を訪れ、寅子や壇、浦野らの前で活動実績の報告を行うことになります。

「東京少年少女保護連盟」は、戦災孤児や浮浪児、不良少年たちを良き兄、姉として見守る活動を展開している学生団体です。

壇と浦野は、団体の活動報告の後に学生たちが語った「お二方(壇、浦野)の所属する組織が団結すれば、より多くの子どもたちを救うことが出来ます!」という真っ直ぐな言葉に打たれ、合併に前向きになりはじめて…。

次の章では、直明が参加している「東京少年少女保護連盟」の出発点であると思われる、日本のBBS活動(大兄姉運動)について簡単にまとめます。

▼日本の家庭裁判所の誕生、発展を学びたいのであればこの一冊。家裁の誕生に大きな貢献をした宇田川潤四郎、内藤頼博、三淵嘉子(それぞれ「虎に翼」多岐川幸四郎、久藤頼安、佐田寅子のモデル)らの当時の様子がわかりやすく描かれています。宇田川潤四郎が巻き起こしたBBS運動の流れもまとめられています。

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【史実モデル】京都で生まれたBBS運動(大兄姉運動)と少年保護学生連盟

▼こんな感じで、今も日本各地の地域、大学などにBBS会(ボランティアサークル)が存在し、子どもたちを見守り続けています。

「虎に翼」に登場した「東京少年少女保護連盟」の活動は、戦後に京都で産声をあげたBBS運動(大兄姉運動)と、そこから全国へと波及していった学生活動、ボランティア活動がモデルになっています。

BBS運動とは、Big Brothers and Sisters Movementの略称。1904年頃にアメリカの少年裁判所の若き書記の提唱により始まった運動で、若者や学生たちが「兄や姉」のように少年少女たちと遊び、時に相談に乗り、非行防止の指導や見守りなどを行っていくボランティア活動です。

日本におけるBBS運動は、戦後に満州から命からがら引き揚げて京都少年審判所の所長になっていた宇田川潤四郎らによって提唱されたのが始まりとされます。

宇田川は帰国後に東京上野の高架下などで見た多数の戦争孤児、浮浪児を見て心を痛め、同時期に愛妻を病気で失ったことで残りの生涯を少年問題に捧げようと誓ったのだとか。亡き妻への誓いの第一歩が、京都少年審判所長での仕事ぶりとBBS運動への取り組みだったのです。

▼宇田川潤四郎は後に家庭裁判所の誕生、発展に大きく貢献し、「家庭裁判所の父」と呼ばれることになります。

もともと仏教系やキリスト系の学校が多かった京都では、学生たちが奉仕活動を行うという土壌があったようです。

アメリカのムーブメントを輸入する形で、宇田川らの呼びかけにより始まった京都のBBS運動は、大谷大学、龍谷大学、京都府立医科大学、立命館大学、同志社大学の学生らの賛同を得て動き出し、1947年(昭和22年)の「京都少年保護学生連盟」の発足式には400名を超える学生が集まりました。

宇田川は本職(少年審判所長)と並行しながら、BBS運動の活動資金集めや広報活動(「愛の少年文化祭」と称したバザーなどの週間イベント)、少年少女と学生たちの交流のための野外学校の実現などに奔走。

こうした宇田川の努力もあり、京都でのBBS活動の取り組みは次第に評判を呼び、その活動理念は全国に急速に普及。またたく間に全国各地にBBS運動を行う団体が誕生しています。

1949年(昭和24年)に家庭裁判所が設立される際には、合併して家庭裁判所になるのを嫌がり猛反対を続けていた少年審判所と家事審判所の幹部らにBBS運動のメンバーの真摯な声が届き、これを機に合併反対の声が縮小。BBS運動が家庭裁判所の誕生に影響を与えたとされます。

BBS活動は現在も脈々と受け継がれています。全国各地には今も約500のBBS会があり、会員数は4,500人超え。その活動は「特定非営利活動法人日本BBS連盟」が束ねています。宇田川らが戦後に描いた理念と構想は、今なお日本の少年少女の更生保護に大きな役割を果たしているのです。

※「虎に翼」で直明が参加する「東京少年少女保護連盟」も、京都から派生したBBS運動の流れをくむ学生組織だと思われます。

「東京少年少女保護連盟」が活動報告にやって来た「家庭裁判所設立準備室」には宇田川潤四郎がモデルになっていると思われる多岐川幸四郎(滝藤賢一)がいますので、多岐川とBBS運動の関係性なども明かされるかも知れません。

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