「虎に翼」落合洋三郎教授の裁判 モデルは思想弾圧事件「河合栄治郎事件」

※本ページのリンクには広告が含まれています。

NHK連続テレビ小説「虎に翼」第7週前半では、寅子が修習生として所属する雲野法律事務所が思想弾圧事件の裁判を取り扱う様子が描かれます。

弁護の依頼人である東京帝国大学の落合洋三郎教授は、ファシズム批判を行い思想弾圧を受けた社会思想家・河合栄治郎がモデルになっていると考えられます。

スポンサーリンク

目次

雲野法律事務所に駆け込む「ファシズム批判」の落合洋三郎教授

1939年(昭和14年)の春から修習生として雲野法律事務所で働き始めた寅子(伊藤沙莉)は、いきなり社会を騒がせる思想弾圧事件に関わることになります。

その事件とは、帝国大学経済学部の教授である落合洋三郎(樋渡真司)という人物が、自身の著書6冊(ファッシズム批判、時局と自由主義、第二学生生活、マルキシズム評伝、社会政策原理、社会思想家研究)を発禁処分にされ、「安寧秩序を妨害する疑いがある」として検察から起訴されたというもの。

落合教授は、国家主義を強め戦争へと突き進む日本の軍部やファシズム勢力への批判を展開していました。下手な弁護でもしようものなら「非国民」としてのレッテルを貼られてしまうため、誰も彼の弁護を引き受けようとはしなかったようです。

困っている人を見ると儲け度外視で助けたくなる雲野六郎(塚地武雅)は、落合教授からの懇願を受けて弁護を引き受けることを承諾。これを受けて寅子は落合教授の著書を読み込み、どの部分の表現に問題があったのかを検討していくことになります。

時代は日中戦争の真っ只中であり、「御国(おくに)」の誰かしらが落合教授の思想に因縁を付けたと考えられます。国家権力と戦うことになる難しい裁判は長引き、雲野法律事務所はなかなか裁判の勝ち筋を見つけることが出来ず…。

モデルは「河合栄治郎事件」 海野普吉弁護士が力添え

著:湯浅 博
¥946 (2024/05/13 10:32時点 | Amazon調べ)

「虎に翼」に登場した東京帝国大学経済学部教授・落合洋三郎は、戦前に軍部、ファシズム批判を展開して思想弾圧を受けた東京帝国大学経済学部教授の河合栄治郎(かわい・えいじろう)がモデルになっていると考えられます。

河合栄治郎は「ファッシズム批判」「時局と自由主義」「第二学生生活」「マルキシズム評伝」「社会政策原理」「社会思想史研究」「社会思想家評伝」などの著書を書いており、劇中の落合洋三郎教授の著書名とほぼ一致しているため、モデルと考えて間違いないでしょう。

イギリスへの留学でイギリスの理想主義に感銘を受け、戦前日本における著名な自由主義派の知識人として、共産主義やファシズムへの抵抗を見せていた河合栄治郎。

こうした河合の論調に右翼勢力は反発し、帝大総長に対し河合の罷免を要求するとともに、政府や軍部を巻き込んで河合の著書「ファッシズム批判」「時局と自由主義」「社会政策原理」「第二学生生活」の発禁処分にこぎつけています。東京帝国大学では自由主義を掲げる河合派とそれに敵対する右派グループによる衝突、大量辞職騒動も起きており、「虎に翼」で描かれた事件の様相と似ています。

やがて河合栄治郎が出版法の「安寧秩序を紊るもの」に当たるとして起訴されると、河合は社会派弁護士の海野普吉(うんの・しんきち)らの協力を受けて無罪を主張。

事件の裁判は長きに渡り、一度は無罪判決が言い渡されたものの、最終的にはこれが覆り1943年(昭和18年)に有罪が確定しています。河合栄治郎は長きに渡る裁判の心労、過労などから1944年(昭和19年)2月に病死をしています。

【補足】
・名前から見ても、この「海野普吉」という弁護士が塚地武雅演じる「雲野六郎」のモデルと思われます。海野晋吉は在野のリベラルな法曹として活躍し、戦前には治安維持法事件など多くの思想裁判・政治裁判を担当。戦後には社会運動を行い、戦後初の最高裁判事も受けないなど、一貫して在野の弁護士としての立場を貫いています。

・寅子のモデルである三淵嘉子は、司法修習時代に「丸の内にある法律事務所」で実務を学んでいます。この「丸の内の法律事務所」が海野晋吉法律事務所であるという事実は確認されていません。

スポンサーリンク

スポンサーリンク

シェアお願いします
URLをコピーする
URLをコピーしました!
目次
閉じる