「虎に翼」寅子はシンガポール生まれ?父・直言の華やかな経歴が判明

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NHK連続テレビ小説「虎に翼」4月26日(金)放送の第20回より。

この日の放送では共亜事件で逮捕された直言を紹介する新聞記事が登場し、直言の経歴が判明。史実どおりに寅子がイギリス領シンガポール生まれである可能性が浮上しています。

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帝都新聞が伝えた父・直言の経歴

大疑獄事件(汚職事件)として世間を大きく騒がせていく共亜事件。

この事件により現職の若島武吉大臣(古谷敏)ら政財界の大物を含む16名が逮捕されますが、その中には株の取引実務を担った帝都銀行の経理第一課長・猪爪直言(岡部たかし)も含まれています。

4月26日(金)放送の第20回では、共亜事件を大々的に伝える帝都新聞の記事が登場。16名の各逮捕者のプロフィールが伝えられる中で、猪爪直言のプロフィールも画面に映し出されています。

以下、その内容を書き出してみます。わざわざ娘(寅子)が明律大学法学部に通っていることをバラしてしまうあたり、この記事は寅子を知る帝都新聞の記者・竹中次郎(高橋努)が書いているのかも知れません。

帝都銀行経理第一課長 猪爪直言

明治三十七年(1904年)帝大法科を卒業し帝銀に入りシンガポール支店に勤務、その後ニューヨーク支店に移るなど世界を股にかけ活躍、東京本社に戻つてきたあとは経理部に配属された、娘は今年四月から明律大学法学部で法律を学んでをり弁護士を目指してゐるがはたして夢は叶ふのか

これまで直言がエリート銀行員であることは示唆されていましたが、詳細な経歴が示されたのは初めてのこと。

直言は東京帝国大学法学部を卒業後に帝都銀行に入行すると、その後シンガポール支店ニューヨーク支店に勤務。まさにエリート街道ど真ん中を走ってきた人だということがわかります。

モデル・三淵嘉子はシンガポール生まれ 寅子も?

実はこの直言の経歴は、モデルになっている三淵嘉子の父・三淵貞雄とまったく同じものになっています。

香川県の丸亀出身だった三淵貞雄は、東京の高等学校に進学すると東京帝国大学法科を卒業。卒業後に台湾銀行(帝都銀行のモデル)に入行すると、1912年(大正元年)には同行が開設したシンガポール出張所(当時はイギリス領シンガポール)に赴任しています。※貞雄はこの赴任の前に丸亀の名家である武藤家の娘・ノブと結婚し、武藤家に婿入りをしています。

1914年(大正3年)年11月13日、このシンガポールの地で三淵嘉子は生まれています(5人きょうだいの一番上)。「嘉子」という名前は「新嘉坡(シンガポール)」から一字を取ったものだそうです。

その後、嘉子が2歳の時に貞雄のニューヨーク転勤が決定。これを受けて嘉子と母のノブは先に帰国し、故郷である香川・丸亀の実家で暮らしています。1920年(大正9年)に貞雄は4年間のニューヨーク勤務を終えると東京支社に戻り、ノブと嘉子を東京に呼びよせて一家での東京生活をスタートさせています。

「虎に翼」ヒロインの猪爪寅子も、三淵嘉子と同じ「五黄の寅年(=1914年)」の生まれ。帝都新聞に掲載された直言のプロフィールのみでは断言できませんが、寅子も史実同様にシンガポールで生まれた可能性があります。※もしかしたら妙に脳天気な長男・直道(上川周作)が南国・シンガポール生まれである可能性も…?

海外生活を経験 先進的な両親の影響

三淵嘉子が日本初の女性弁護士、裁判官になっていくにあたり、海外生活を経験し先進的な気質を持っていた両親が大きな影響を与えています。

当時としては珍しく長年の海外勤務を経験した父・貞雄は、いち早く娘の才覚を見抜き、明治大学専門部女子部法科への進学を勧めたとされます。貞雄は女性を見下すようなことはなく、妻や娘の話をしっかりと聞く男性だったそうです。

どちらかといえば保守的な気質を持っていた母のノブもまた、若き日に日本を飛び出してシンガポールで新婚生活を送ったことで、価値観のアップデートを経験しています。ノブは娘の法科への進学に対し「嫁の貰い手がなくなる」と大反対をしたそうですが、最終的には娘の意思を尊重し、ハラハラと心配しつつもその挑戦を見守ってくれたそうです。

※6人きょうだいで育ったノブは早くに実父を亡くし生活に困窮し、子供がいなかった伯父(武藤家当主)の養子になっています。武藤家を取り仕切っていた義母(伯母)の駒子は几帳面で躾けに厳しい性格だったそうで、養子になったノブに対しずいぶんとキツく当たり続けたのだとか。ノブはうるさい義母から離れて暮らした異国の地・シンガポールで自由を満喫したようですね。

「虎に翼」では、当時としてはかなり先進的だった三淵嘉子の両親をモチーフに、直言・はるのキャラクターが作られています。

おそらく直言のシンガポール勤務の際に、新婚だった妻のはるも付いて行ったのではないでしょうか。はるが保守的ながら何だかんだとぶっ飛んだ一面があるのも、当時としては珍しい海外生活経験者だからなのかも知れません。

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