朝ドラ「とと姉ちゃん」常子、女二人で「ビアホール ニューギンザ」へ 日本のビアホールの歴史

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NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」第11週、2016年6月13日(月)放送回で、「ビアホール ニューギンザ」が登場しました。

この記事では「ビアホール ニューギンザ」のメニュー、それに、日本のビヤホールの歴史などを簡単にまとめます。

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目次

常子、仕事帰りにビアホール メニューは?

戦争の足音も聞こえてきた昭和15年(1940年)のこと。ヒロイン・小橋常子(高畑充希)は勤務後に、鳥巣商事同僚の多田かをる(我妻三輪子)からビヤホールに行かないかと誘われます。

「五人いる弟のことで相談がしたい」という多田かをるに促され、常子は「ビアホール ニューギンザ」に向かいます。

テレビ画面で判読出来た同店のメニューは以下の通り。

ビール 五十銭
ハイボール 八十銭
ウヰスキー 六十五銭
ワイン 四十銭
サイダー 二十銭
フライビンズ 二十銭
キングチップス 二十五銭
ソーセージ 二十銭
チーズ 二十五銭
サンドウィッチ 三十銭

※「フライビンズ」とは、乾燥させたソラマメを油で揚げた豆菓子。

若い女性二人でビアホール?

「職業婦人」として月四十円(入社時)ほどを稼ぐ常子たちにとって、ビアホールで息抜きに一杯、なんてことも経済的には可能だったかも知れません。

ただし当時は男尊女卑の考えが色濃い時代で、「ニューギンザ」の店内は男性ばかり。ましてや同年に京浜地区でビールの配給制が始まったというご時世もあり、若い女性二人でビアホールに行くというのはかなり珍しい(というより、あり得ない?)光景であり、常子らは酔った男性客に「女のくせに」と絡まれてしまいます。

日本のビアホールの歴史


▲昭和9年(1934年)に開店した「ビヤホールライオン銀座七丁目店」。現存する最古のビアホールとして知られ、現在でも往時のビアホールの雰囲気が楽しめる。Photo by: na0905

日本の「ビアホール」の歴史は、明治30年(1897年)に大阪・中之島にオープンした「アサヒ軒」、明治32年(1899年)に東京・銀座に誕生した「恵比壽ビヤホール」(「ビヤホール」の名称を初めて用いる)にさかのぼります。

「恵比壽ビヤホール」は、当時としては極めてモダンで豪華な店舗を誇り大繁盛。このビアホールの繁盛もあり、同じく洋風の雰囲気を楽しめる飲食店「ミルクホール」も隆盛を極めていきます。

その後昭和初期にかけて、ビールを提供するカフェーやバーなど競合店も増え、東京では「ビヤホール」の勢いは弱まっていたようですが、昭和12年にはスキヤ橋畔に「ニユー・トーキヨー」が誕生しチェーン店化。出征兵士の壮行会会場としての利用なども増え、ビアホールの人気も堅調でした。

昭和15年以降、飲食店において昼間に酒類を提供することが禁じられ、さらに昭和18年にはビアホールでの販売量が制限され、終戦にかけてビアホールは全国でわずか50軒程度にまで減少しています。

「とと姉ちゃん」に登場した「ビアホール ニューギンザ」は、チェーン化して成功した「ニユー・トーキヨー」や前述の「ビヤホールライオン銀座七丁目店」あたりをイメージしてセットが組まれたのではないかと思われます。

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