NHK連続テレビ小説「わろてんか」に登場する月の井団吾のモデルとなっていると考えられる、伝説の上方落語家・桂春團治(かつら・はるだんじ)。
この記事では、桂春團治の伝説のエピソードのひとつ「ラジオ無断出演事件」をまとめます。現在のところ「わろてんか」にこのエピソードが登場するかは不明です。
禁止されていたラジオ出演
吉本せい(わろてんかヒロインのモデル)と春團治が関わるエピソードといえば、なんといっても「ラジオ無断出演事件」と、それにともなう「家財取り押さえ」が有名です。
大正14年(1925年)に日本でラジオ放送が開始されると、やがて吉本せいはラジオ放送を寄席経営の大きな敵と考え、吉本所属芸人のラジオ出演を禁止しています。
昭和5年(1930年)、この禁を春團治が豪快に破ってしまうのです。春團治はラジオ局との間に出演料半年間前借りの密約を結んでいたともされます。
勝手にラジオで一席 激怒の吉本せい
JOBK(現在のNHK大阪)と秘密裏に交渉を重ねた春團治は、大阪ではなく京都のスタジオから放送を行うなどの先手を打った上で(しかもスタジオに施錠をするなど徹底的な下準備)、ラジオ番組に生出演。そこで得意ネタ(寄合酒)を一席演じてしまうのです。
これに怒ったせいは、すぐさま春團治の家財道具一式を差し押さえるように社員に指示。放送を終えて春團治が帰宅すると、すべての家具には差し押さえの札が貼られていたのでした(当時の春團治は吉本に対し多くの借金を残していた)。
しかし、さすがは伝説の芸人・春團治。
翌朝の新聞には、差し押さえ札を自らの口に貼った春團治の写真が大きく掲載され、「この口があったら、なんぼでもしゃべりまっせ!」とアピール(自らの口が一番差し押さえの価値があると言わんばかり)。人々の笑いを誘っています。
▼新聞に掲載された春團治の「伝説の写真」がパッケージに使われている初代・春團治のCD。
思わぬ広告効果 ラジオ解禁へ
吉本せいの末恐ろしさを体感することになるこの事件ですが、せいにもいささか本質を見誤っていた部分がありました。それは、春團治のラジオ出演以降、寄席に足を運んでくれる客が明らかに増えたという事実でした。
急速に広がりつつあった庶民のメディア・ラジオ放送は、せいが考えていたよりもはるかに大きな広告宣伝効果があったのです。
この現実に気が付いたせいは、商売に対する嗅覚を発揮し、数年後には放送局と和解。人気となった漫才コンビ「エンタツ・アチャコ」の得意ネタ「早慶戦」をラジオで放送して寄席に観客を呼び寄せるなど、新時代のメディアを大きく活用する戦略をとっていくのです。
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