NHK連続テレビ小説「あさが来た」に登場する山崎平十郎(辻本茂雄)という人物についてまとめます。今後、山崎平十郎はあさの「右腕」となり、加野屋の銀行経営に大きく貢献する重要人物となっていきます。
この記事では、あわせて山崎平十郎のモデルになっているとされる実在の人物「中川小十郎」についてもまとめます。
元官僚・山崎平十郎 やがてあさの右腕に…
吉本新喜劇などでお馴染みのお笑いタレント・辻本茂雄が演じる山崎平十郎。初登場は1月18日(月)のシーンで、加野屋の客としてチラッと映っていました。平十郎はその後もなぜか毎週加野屋にやってくるようになるのですが、何を聞いても「へえ…」としか言わず。
「月曜日のへえさん」とあだ名がつけられた平十郎は、何がしたいのかよくわからない困った来客として、加野屋で話題になります。
そんな平十郎の姿を見て、雁助は「ひょっとして加野屋で働きたいのでは?」と勘を働かせます。雁助の勘は大当たりで、後日、新次郎とあさによって平十郎の面接が行なわれることになります。
つかみ所のなかった平十郎でしたが、心のうちには大きな志を持っていました。一度口を開くと平十郎は自身の来歴、考えを機関銃のように話し出します。
平十郎は元大蔵相の役人であり、ドイツ留学で銀行について学んだ身。その経歴を活かし、これからの日本の発展に役立つであろう銀行を創りあげたいと考えてたのです。
あさに頼み込み加野屋で働くことになった平十郎は有能で、やがてあさの右腕となり、雁助が去った加野屋の経営を支えていくことになります。
モデルは元官僚・中川小十郎か
この山崎平十郎のモデルだとされるのが、文部省官僚、貴族院議員を務め、京都法政学校(現・立命館大学)の創立者でもある中川小十郎(1866-1944)です。
西園寺公望(公家、政治家、教育者)に仕えた郷士・中川家に生まれた小十郎は、帝国大学(現・東京大学)進学後に文部省に入省。
官界時代の小十郎は西園寺公望から目をかけられていたこともあり、京都帝国大学(現・京都大学)の創設に関わり、同大学の初代事務局長に取り立てられています。他にも広岡浅子(あさのモデル)が設立に関わった日本女子大学の設立発起人を務め、同大学の創立事務幹事長に就任するなど、文部省の官僚として、高等教育機関の設立に貢献しています。
成瀬仁蔵を通じ、民間の加島屋へ
官界で活躍していた小十郎でしたが、日本女子大学設立を巡り教育者・成瀬仁蔵(日本女子大学創立者)と懇意になると、成瀬を通じて加島屋への入社を打診されています(成瀬は日本女子大学の設立にあたり広岡浅子に相談。多大な協力、援助を受けていた)。
小十郎は自身を信頼し、財産すべてを任せる形で加島屋の再興を託そうとしてくれる浅子に対して義を感じ、官界から一転、民間である加島屋に身を投じる決意をしています。…このあたりの入社経緯は、ドラマの平十郎とはだいぶ違いますね。
加島屋に入社した小十郎は辣腕をふるい、朝日生命保険株式会社(後に大同生命保険)の副社長を務めるなど、加島屋の再興に大きく貢献しています。
また、旧制高等学校の卒業生しか受け入れられなかった京都帝国大学の実態に限界を感じ、京都法政学校設立に奔走。後には官界復帰、台湾銀行副頭取就任、貴族院議員になるなど、政財界で広く活躍しています。
成澤泉との出会い いよいよ女子大設立へ?
「あさが来た」においても、成瀬仁蔵に相当する人物である成澤泉(瀬戸康史)が1月30日放送分から登場する予定です。成澤と平十郎との邂逅により、いよいよ日本初の女子大学校創設への道筋が開けてくるのではないかと予想します。