【真田丸】「国家安康」「君臣豊楽」 方広寺鐘銘事件を受け、信繁は再び大坂城へ

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NHK大河ドラマ「真田丸」10月9日(日)放送の第40話より。

この日の放送では、方広寺の鐘に刻まれた銘文を巡り、徳川家康が豊臣秀頼に難癖をつけたことで知られる「方広寺鐘銘事件(ほうこうじ・しょうめいじけん)」の様子が描かれます。

この出来事が引き金となり、九度山に蟄居していた真田信繁は大阪へと戻り、いよいよ豊臣家滅亡へのカウントダウンが始まります。

盟友・片桐且元との再会

九度山での穏やかな生活に馴染んでいた真田信繁(堺雅人)のもとに突然現れた、宇喜多秀家の家臣・明石全登(あかし・てるずみ)。全登は、信繁に徳川との戦いにおいて豊臣方の将として戦って欲しいと依頼します。

そして、全登によって引き合わされた人物が、かつて大坂城で苦楽を共にした盟友・片桐且元(小林隆)でした。且元は、もう一度豊臣秀頼(中川大志)のために信繁に一肌脱いで欲しい理由として、以下のようないきさつを語り出します。

方広寺鐘銘事件 梵鐘の銘文が…

それによれば、事の発端は秀頼が進めていた京・方広寺の大仏再建の開眼供養でした。秀吉により創建された方広寺は慶長元年(1596年)の大地震により倒壊したままになっており、家康の勧めもあり、秀頼は再建事業を行なっていました。

秀頼は再建された大仏の開眼供養に併せて秀吉の十七回忌を執り行うことを決め、それに合わせ且元は新たに鋳造する梵鐘に刻む銘文を南禅寺の禅僧・文英清韓に依頼。鐘の鋳造も終わり、あとは開眼供養の日を待つばかりとなっていました。

ところが、突然家康から開眼供養に「待った」がかかります。家康は、梵鐘に刻まれた銘文のうち、「国家安康」「君臣豊楽」の部分が徳川に対する冒涜だとして豊臣側に難癖を付けてきたのです

運命の8文字「国家安康」「君臣豊楽」

家康によれば、

・「国家安康(こっかあんこう)」の字句の中には「家」と「康」が含まれおり、この二文字が意図的に分割されている。これは「家康の身を二つに裂く」ことを意味している

・「君臣豊楽(くんしんほうらく)」は、豊臣家を君主として豊臣家がますます繁栄することを祈願している

とし、これらは家康ならびに徳川家を冒涜するものだとしたのです。

徳川、豊臣両家に決定的な溝 全面対決へ

この銘文を創作した文英清韓にしてみれば、家康を祝う気持ちはあれど悪意はなく、まったくの言いがかりとのこと。且元らは弁明のために駿府城の家康を訪ねるものの取り合ってもらえず、これにより徳川、豊臣両家の対立は決定的なものになってしまいます。

「方広寺鐘銘事件」を受けて豊臣方への復帰を依頼された信繁は、悩んだ末に大坂城へと戻ることになります。

家康がクレーマー?片桐且元の不注意?

この「方広寺鐘銘事件」ですが、数百字の文字列の中のわずか「8文字」の落ち度を発見し、それに固執した家康のクレーマーぶり、難癖ぶりが多く語られます。

その一方で、片桐且元ら豊臣方の無神経、不注意があったとされる意見もあります。「真田丸」では人の良い「うっかりさん」として描かれている且元ですから、この事件の経緯がどう描かれるのか楽しみです。

「国家安康」の梵鐘は現存

▼京都市東山区の方広寺。境内の鐘楼には現在も梵鐘(重要文化財)が吊るされ、有名な「国家安康」「君臣豊楽」の文字を見ることが出来ます。

住所:京都府京都市東山区正面通大和大路東入茶屋町527−2



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