NHK大河ドラマ「真田丸」に登場する歴史の舞台、信州・諏訪の法華寺についてまとめます。
「真田丸」第4話の主な舞台のひとつとなる法華寺は、あの「本能寺の変」に繋がったともされる歴史的な「ある出来事」が起きた場所でもあります。
昌幸、信繁 法華寺で信長と会う
「真田丸」第4話より。
ようやく織田信長(吉田鋼太郎)に会えることになった真田昌幸(草刈正雄)、信繁(堺雅人)親子は、信長に会うために諏訪の法華寺(ほっけじ)へとやって来ます。法華寺は甲斐武田氏が滅亡した後に信長自らが諏訪に入り、しばらくの間本陣を置いたとされる場所です。
この法華寺において信繁は織田信長、徳川家康ら重要人物と初対面を果たし、その結果、真田は織田に仕えることが決定します。
織田の武将たちが集結
当時、法華寺には信長の諸将が集結しており、信長はこの地で論功行賞、武田家滅亡後の甲斐信濃の知行割(知行=ちぎょう。戦国時代においては、武士が主君から給付・安堵された所領を意味)などを行なったとされます。
「真田丸」第4話でも真田親子が訪れた諏訪・法華寺に織田信長、信忠をはじめ徳川家康、本多忠勝、穴山梅雪、それに明智光秀らが集結する姿が描かれます。
明智光秀が信長から折檻される→本能寺の変
真田が織田に仕えることが決まるという重要な場面が描かれる法華寺のシーンですが、第4話ではもうひとつ、日本の歴史の転換点になったともされる(諸説あり)、法華寺でのエピソードが描かれます。
それは、明智光秀が信長から怒りを買い、法華寺で激しく折檻されるという場面。一説によれば、この法華寺での信長の惨い行いが、わずか二ヶ月後に明智光秀が起こすことになる「本能寺の変」の引き金になったともされます。
法華寺は諏訪大社上社本宮と隣接
平安時代建立とされる法華寺は、諏訪大社上社の神宮寺(=神仏習合で神社に付属して造られた寺院)で、上社本宮(かみしゃほんみや)のすぐ横にあります。
天正10年(1582年)に織田信忠の軍勢が諏訪に入ると、武田氏が崇拝していた諏訪大社上社本宮は焼き討ちされましたが、法華寺は類焼を免れています。
前述のように、法華寺は甲斐武田氏滅亡の後に織田信長が一時滞在したほか、忠臣蔵・赤穂義士の討入で知られる吉良上野介義央の外孫(のちに養嗣子)・義周の墓があるなど、歴史好きであれば訪れてみたい場所です。
隣接する諏訪大社上社本宮は、諏訪大社4社(ほかに上社前宮、下社秋宮、下社春宮がある)の中でも貴重な建造物が残ることで知られ、法華寺と併せて訪れるとよいでしょう。なお、法華寺本殿は平成11年に焼失し、現在は新しい本堂が建てられています。