1月8日放送のNHK「歴史秘話ヒストリア」では、今年の大河ドラマ「軍師官兵衛」を特集。戦国時代の天才軍師・黒田官兵衛ゆかりの地を訪ね歩き、官兵衛にまつわるエピソードを紹介していました。この記事では、その中から大分・中津の官兵衛ゆかりの地をご紹介します。
秀吉の元で働いた官兵衛はその功績が認められ、中津(現・大分県中津市)に12万石の領地を与えられます。
官兵衛は中津では名前を黒田如水(じょすい)と名乗り、家督を息子の長政に譲ります。天正16年(1588年)、官兵衛はこの地に中津城を築城します。(明治4年に廃城。)
姫路町、京町、古博多町、如水…地名に残る歴史
中津において官兵衛が情熱を注いだのが、まちづくりでした。官兵衛は全国から大工や石工などの優秀な職人を集めて地域ブロックごとに住まわせ、機能的な町を作っていきました。現在でも中津の町名には「姫路町」「京町」「古博多町」などの地名が残っていますが、これらは呼び集め住まわせた職人たちの出身地にちなむもの。
▼中津城の位置。周囲には「姫路町」「京町」などの町名が残る。他にも歴史を感じる町名が。
中津はその後急速に発展していき、のちに博多と並ぶ九州有数の都市へと成長していきます。「中津大津絵音頭」に、官兵衛がどのように中津の町をつくったが唄われています。
♪ 時は天正夏のころ 中津の城主黒田侯は ハソウジャソウジャ
扇の城を築かんと 大工左官や石工をば はるばると播州姫路より~
また、中津市の如水地区には「如水小学校」「如水幼稚園」「如水公民館」「如水信用金庫」など如水(官兵衛)ゆかりの名前が存在しています。これは、石垣原での戦いを前に官兵衛がこの地で軍勢を揃えたことに由来し、この一帯は「如水原」と呼ばれていたとか。
▼中津市内に残る「如水」。「如水小学校」「如水幼稚園」。
中津城天守は昭和の再建 官兵衛普請の石垣が残る
▲中津城・模擬天守と復興櫓 Photo by Mukai
天守がそびえ、中津のシンボルのひとつである中津城。中津城自体はかつて官兵衛が築城したものなのですが、残念ながら現存している天守閣は昭和39年に建造された模擬天守です。かつてここに天守があったかどうかも不明なのですが、官兵衛が書いた手紙には、天守があったことをうかがわせる記述が残っています。
なお、官兵衛が「穴太(あのう)積み」と呼ばれる技法で普請した石垣は現在もしっかりと残っています。これは近世城郭の石垣としては九州最古のものだそうで、一見の価値有り。
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