NHK連続テレビ小説「わろてんか」のヒロイン・藤岡てんのモデル人物である、吉本興業創業者・吉本せい。
この記事では、大阪の町の「笑い」を大きく変えた吉本せいの人生、略歴をまとめていきます。まずは、吉本せいの生い立ちから夫・泰三(吉兵衛)と結婚するまでの経緯。
※「わろてんか」は実在の人物・吉本せいの人生をモデルにして、オリジナルのストーリーとして再構成した物語です。そのため、吉本せいの人生をなぞりながらも、随所にフィクションのストーリーが組み込まれていくものと思われます。
大阪の米穀商の娘として生まれる
吉本せいは明治22年(1889年)、米穀商を営んでいた父・林豊次郎と母・ちよの三女として生まれています。出生地は父の郷里、兵庫・明石だともされますが、はっきりとした記述は残っていないそうです。
せいが育った実家は、大阪の天神橋筋にほど近い南同心町(天満)にありました。せいは幼い頃から天神橋筋の賑わいを肌で感じつつ、小さいながらも繁盛していたという家業の米穀商を手伝う中で、大阪商人の気質を学んでいます。
※「わろてんか」のヒロイン・藤岡てんは「京都の老舗薬種問屋の長女」という設定。このあたりは史実から改変が加えられています。
大阪の一流商家で女中奉公
せいは、尋常小学校を卒業すると実家を離れ、「北浜の怪物」と言われた米穀商・島徳蔵の店に奉公に出ています。島徳蔵は天才相場師としても知られ、後に大阪株式取引所理事長、阪神電鉄社長を務めるなど、大阪経済界で大きな影響力を持った人物です。
また、せいは鴻池家にも女中としてあがっており、一流の商家で働くという環境の中で、早くから大阪商人特有の「始末」を体感し、学んだようです。
吉本泰三(吉兵衛)と「運命」の結婚
明治40年(1907年)、せいは18歳で大阪・上町本町橋の荒物問屋「箸吉」の跡取り息子・吉本泰三(吉兵衛)と結婚しています。吉本家は放蕩息子の泰三を立ち直らせるため、商才があるらしいせいを嫁に迎えたともいわれます。
なお、「吉兵衛」という名前は吉本家の当主が代々名乗ったもの。後に名乗る「泰三」の名は、吉本家が心良く思わない寄席経営を始めたことで、吉本家から距離をおくことになって名乗り始めた名前です。
※この吉本泰三が、「わろてんか」で松坂桃李が演じることになる夫・北村藤吉のモデル人物ということになります。なお、「わろてんか」ではヒロイン・てんが藤吉と恋に落ちて駆け落ち同然で結婚をするというストーリーが展開されますが、泰三とせいの結婚は商売上の付き合いがあった親同士が取りまとめたものだとされます。
大阪で愛される「ダメ亭主」
吉本泰三といえば、度を超して芝居や落語にのめり込み、最期は愛人宅で腹上死を遂げたとさえウワサされるほどの「ダメ亭主(?)」とされ、今も大阪人に愛される(ある意味で世の男性から憧れられている)存在です。
「ダメ亭主」の見本のように言われる泰三ですが、芸能に精通していた泰三がその深い知見を如何なく発揮し、天性の商人肌だったせいの手を借りながら、吉本初期の寄席経営を躍進させたのは間違いのないところではあります。
泰三とせい。得意分野の違う二人がたまたま夫婦となったことで、現在につながる大阪の「吉本帝国」が産声をあげることになるのです。
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