NHK連続テレビ小説「わろてんか」に登場する旅芸人・キース(大野拓朗)は、後に「しゃべくり漫才のパイオニア」になっていくというキーパーソン。冴えない俄(仁輪加)芸人・アサリ(前野朋哉)とコンビを組むと、キースの才能も一気に開花していきます。
この「キース&アサリ」のモデル人物(コンビ)となっているのが、大正から昭和にかけて活躍した伝説の漫才コンビ「エンタツ・アチャコ」です。この記事では、キースのモデル人物である横山エンタツについてまとめます。
破天荒な青春 横山エンタツ
横山エンタツは明治29年(1896年)に兵庫県で生まれ旧制中学校に入りますが、わずか2年で中退。突然「馬賊になる」と言って家を飛び出し、その後大陸に渡って(朝鮮半島から満州、大連など各地を転々。)旅芸人一座に加わるという破天荒な青春時代を送っています。
帰国後は巡業劇団に参加し、万歳師としても活動をしており、東京でそこそこの成功を収めていたようです。昭和3年(1928年)頃からは芸名「横山エンタツ」を名乗り始め、翌年には浪曲師らを引き連れてアメリカ巡業に出発しています。
帰国後、万歳師に見切りをつけようとしていたともされるエンタツは、巡業先のアメリカで見た「パーマネントの機械」「マーケットで使う紙袋」を日本で製造販売するなどのビジネスを思いつき果敢に実行しますが、こちらも失敗し、再び芸人稼業に舞い戻っています。
吉本に入社 「エンタツ・アチャコ」結成
▼花菱アチャコ(左)と横山エンタツ(右)。画像はWikipediaより転載(パブリックドメイン)。
若くして波瀾万丈の日々を送っていた横山エンタツですが、当時「10銭万歳」をヒットさせていた吉本興行部(後の吉本興業)の林正之助(吉本せいの実弟)にその才能を見出されます。
エンタツは、昭和5年(1930年)に花菱アチャコとコンビを組んだことで(コンビを正之助が組ませたとも、エンタツがアチャコと組むことを要求したとも、両説があります)、その才能が大きく開花していきます。
古き伝統が守られていた「まんざい」
中世の時代から存在したという旧来の「万歳(まんざい。萬歳とも)」は、正月や結婚式などめでたい席で披露された芸でした。
「太夫」が扇を広げて舞いながらめでたい言葉を歌唱し、「才蔵」が鼓を打って伴奏を行なう。その合間に二人による掛け合い(しゃべり)が織り交ぜられるという形式がとられ、三河万歳、尾張万歳など地域によって様々な流派が存在しました。
その後、張り扇を使ったツッコミが登場するなど現在の「ボケ(才蔵)」と「ツッコミ(太夫)」のようなスタイルも成立し、笑いの要素が強くなっていった万歳。江戸の頃にはすでに万歳は興行化していましたが、「エンタツ・アチャコ」の登場以前は音曲、踊り、芝居(そしてつなぎとしての掛け合い、猥談)が一体となった古典的なスタイルが継承されていました。
画期的な「しゃべくり漫才」
エンタツ・アチャコは、歌も歌わず楽器も使わず、張り扇で相手の頭をどつきもせず。二人は手ぶらで舞台へと上がり、軽妙なやり取り、日常的な会話だけで笑いをとるという画期的な万歳のスタイルを成立させます。
また、エンタツは背広姿(※)にセルロイドの丸眼鏡、チャップリンを思わせるちょびヒゲを生やした出で立ちで舞台に登場。(※)背広姿で舞台に立った初めての演者とされる。他の万歳師は羽織袴で舞台にあがっていた。
「キミ」「ボク」と互いに呼び、標準語に近い言葉で流行の話題や世相を茶化す芸風は、どこか「インテリ」の空気を感じさせるもの。当時の大阪で一般的になりつつあったサラリーマン層にも受け入れられ、エンタツ・アチャコは大人気になっていきます。
▲なかなか聞く機会がない、古き時代の漫才の音源。獅子てんや・瀬戸わんや 「世界食べ歩き」、Wけんじ 「調子いい物語」、内海桂子・好江 「海外旅行」、松鶴家千代若・千代菊 「もう帰ろうよ」、エンタツ・アチャコ 「早慶戦」、砂川捨丸・中村春代 「即席問答」。 砂川捨丸・中村春代、松鶴家千代若・千代菊は古き「万歳」のスタイルを踏襲していた芸人。
名称「漫才」が誕生 こんにちへ
当初、エンタツ・アチャコの演目は「二人漫談」と称されました。吉本興業は二人の「万歳」に未来を感じたこともあり、当時「万歳」「萬歳」「万才」などさまざまに表記されていた「まんざい」を、新しい字面の「漫才」に統一。エンタツ・アチャコは「しゃべくり漫才」の元祖となっていったのです。
結局、エンタツ・アチャコは結成から四年弱で解散してしまいます。しかし、「万歳」の芸に制約を与えていた音曲や踊り、数え歌といった縛りを解き放ち、日常の話題を自由に掛け合う現在の「漫才」のスタイルを誕生させた「エンタツ・アチャコ」は、現在でも「伝説の芸人」として語り継がれる存在なのです。
※横山エンタツは、弟子に横山ノック、孫弟子には横山やすしが存在するなど、後の大阪のお笑いにも影響を与えています。また、エンタツの次男の花紀京は吉本新喜劇の黄金期を支えた大物芸人です。
・【わろてんか】キース・アサリの解散 モデル「エンタツ・アチャコ」の解散理由とは
▼「エンタツ・アチャコ」が名探偵だった?荒唐無稽なフィクションながら、昭和の芸能史が垣間見え、当時の大阪の空気感がリアルに書き綴られた良質のエンターテイメント作品。
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