【まんぷく】萬平と福子、大阪・池田へ移住 安藤百福が住んだ池田市は「チキンラーメン誕生の地」

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NHK連続テレビ小説「まんぷく」では、ヒロイン夫婦が大阪・池田の地と関わりを持っていきます。

池田はあの「チキンラーメン」が誕生した地として知られ、「カップヌードルミュージアム(安藤百福発明記念館 )」も建設されています。

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目次

【まんぷく】萬平、池田信用組合の理事長に

年明け1月4日の放送では、克子の家に居候をしている萬平(長谷川博己)のもとに、大阪・池田で織物業を営むという男・大鳥勘一(団時朗)が訪ねてきます。

池田といえば、福子の学生時代の親友・敏子(松井玲奈)が結婚して移り住んだ土地。萬平は、新設される「池田信用組合」の理事長に就任するよう大鳥から懇願されると、悩んだ末にこれを承諾。これをキッカケに、池田という土地と萬平・福子夫妻との縁が生まれます。

萬平は池田信用組合の理事長として勤めた後に、ある出来事により池田の自宅でインスタントラーメンの開発をスタートさせることになります。

萬平はいよいよ池田の地で、人類にとっての大発明となる「インスタントラーメン」を生み出すことになるのです。

【史実】池田市の自宅で再起を図った安藤百福

立花萬平のモデル人物・安藤百福氏は、脱税容疑により拘束されていた巣鴨プリズンから出所後、請われて大阪に新設された信用金庫の理事長に就任しますが、やがてこの信用金庫の経営が破綻。

百福氏は理事長としての社会的責任に問われるとともに、財産の大半を失って「無一文」の状態になってしまいます(1957年)。

当時の百福氏一家は、池田市呉服町の借家に住んでいました。事業を整理した後に自宅に引きこもった百福氏は、やがて「失ったのは財産だけ。経験が血や肉となって身についた」と持ち前のポジティブな思考回路を発揮。事業家として再起を図ります。

【史実】自宅の庭に小屋 「研究所」でラーメン開発着手

百福氏は自宅の裏庭に小さな掘っ立て小屋を建てると、ここを「研究所」とし、梅田の闇市での様子から着想を得ていた「魔法のインスタントラーメン」の開発に着手することになります。

百福氏は朝から晩まで研究室にこもり、手探りの状態で研究を開始。睡眠時間は平均四時間程度という過酷な研究の日々は一年間にも及び、ついにお湯があればすぐに食べられる即席麺「チキンラーメン」の開発に成功します。

かつての自宅近くに「カップヌードルミュージアム」

百福氏が研究に没頭した自宅(借家)があった呉服町のすぐ近く(池田市満寿美町8-25)には、「カップヌードルミュージアム 大阪池田(安藤百福発明記念館 )」が建設されており、池田がインスタントラーメン発祥の地であることを今に伝えます。

「カップヌードルミュージアム」内には、百福氏が研究に没頭した小屋が緻密に再現されているほか、「安藤百福とインスタントラーメン物語」「カップヌードルドラマシアター」「世界のインスタントラーメン」「インスタントラーメン・トンネル」「テイスティングルーム」などの展示空間が展開されています。

百福氏は「(財)いけだ市民文化振興財団」の会長を務めたほか、池田市名誉市民に選ばれるなど、現在でも池田氏を代表する偉人として語り継がれています。また、百福氏は池田市にある市立池田病院で亡くなっており(2007年、満96歳没)、台湾から大阪へと渡ってきた百福氏にとって池田の地は終の住処と言える場所になっています。

▼阪急・池田駅から南に歩いて5分ほどにある「カップヌードルミュージアム」。そのすぐ北側、池田駅付近に広がるのが百福氏が暮らした「呉服町」です。池田はいわゆる「下町」ではなく、古くから開発され成熟した阪急沿線の住宅街。阪急阪神東宝グループの礎を築いた小林一三が晩年を過ごした町としても知られます。

▼池田駅の反対側(北側)には「小林一三記念館」や「雅俗山荘」「逸翁美術館」など、小林一三ゆかりの施設が多数。

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