NHK連続テレビ小説「花子とアン」のモデルとなった村岡花子が父の薦めで通うことになるのが、東京にある東洋英和女学校です。現在の東洋英和女学院中学部・高等部の前身です。
村岡花子は山梨県甲府市で生まれた後、東京・品川に移住します。
品川の城南小学校(品川区南品川2丁目)を卒業後、はなにだけは高等教育を受けさせたいという父の考えもあり、東洋英和女学校(東京都港区六本木5丁目)に編入学します。花子の両親はクリスチャンであり、ミッション系の学校である東洋英和女学校への入学も父の強い勧めがあってのことでした。
(※「花子とアン」の物語での村岡花子(幼少名・安東はな)は、甲府の「阿母尋常小学校」に通うことになります。しかし田舎教師(マキタスポーツ)に呆れた父は、東京のミッション系女学校「私立修和女学校」に花子を寄宿させることになります。この「私立修和女学校」が、東洋英和女学院をモデルだと思われます。←ストーリー上、多少実在の村岡花子の経緯とは異なっているようです。)
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「東洋英和」はお嬢様学校として有名
東洋英和女学校の設立は、花子が編入学する20年ほど前の1884年(明治17年)。カナダ・メスジスト教会から派遣された宣教師マーサ・J・カートメルによって麻布鳥居坂に開校されました。現在でも同地には「東洋英和女学院」の幼稚園から高等部、それに大学院があり、都内でも有数の「お嬢様学校」として知られます。(東洋英和女学院大学は、神奈川県横浜市緑区にあります)
東洋英和女学院出身の有名人にはわかりやすいところで、作家の阿川佐和子、遠藤周作夫人の遠藤順子、女優の高峰三枝子、それに女子アナウンサーで武内絵美、大木優紀(テレビ朝日)、益田由実(フジテレビ)などがいます。
建築家・ヴォーリズ設計の校舎は見もの
麻布鳥居坂の東洋英和女学院といえば、ランドマーク的存在ともなっている「スパニッシュ・ミッション・スタイル」の校舎建築。これは村岡花子が卒業した後に建てられたものですが、一見の価値があります。。
建築家・ヴォーリズが設計した当時の校舎(1933年竣工)は残念ながら取り壊されてしまいましたが、1984年に旧校舎を忠実に復元した現在の校舎が建てられ、鳥居坂近辺の街並みに溶け込んでいます。
なお、東洋英和女学院は現在まで一貫して女子高(女学校)として伝統を守って来ましたが、兄弟校として同じメソジスト教会設立による「東洋英和学校」(現・麻布中学校、高等学校=男子校)があり、こちらも名門校として知られます。
花子の英語の強みはミッション系だからこそ
村岡花子は東洋英和女学校でカナダ人宣教師から英語を学ぶとともに、同級生の柳原白蓮の紹介で佐々木信綱から日本の古典文学を学んでいます。
東洋英和女学院高等科を卒業すると花子は、生まれ故郷である山梨英和女学校に英語教師として赴任します。こちらは現在の中高一貫校「山梨英和中学校・高等学校」であり、甲府市愛宕町にあります。「花子とアン」の安東はなも、女学校卒業後に故郷・甲府の学校へ英語教師として赴任するようです。