NHK連続テレビ小説「花子とアン」主人公の安東はな(山田望叶)は、父の薦めで東京の「修和女学校」に通うことになりました。
東洋英和女学院がモデルの修和女学校
この「修和女学校」は、この物語の主人公のモデルとなった村岡花子が実際に通っていた東京・麻布の「東洋英和女学院」が元になっていると思われます。
参考記事
・「花子とアン」村岡花子の母校・東洋英和女学院(港区六本木)はお嬢様学校
修和女学校は明治時代の初めにカナダ人宣教師によって作られたミッション系の女学校。生徒の多くは華族など特権階級の令嬢で、はなは父・吉平(伊原剛志)の奔走によって学費免除の給費生として特別に入学を許可されたようです。
Photo by Toby Oxborrow
三人のルームメイト
修和女学校に通う学生は寄宿舎に寝泊まりし、予科・本科・高等科といった年齢の垣根を越えて、ルームメイトとともに共同生活を送ります。はなが同室となった女学生は、高等科の白鳥かをるこ(ハリセンボン・近藤春菜)、本科の一条高子、そして編入生の醍醐亜矢子(高梨臨)の三人。
白鳥かをるこは「言語矯正会の会長」であり、言葉遣いにウルサイ先輩。醍醐亜矢子ははなと同年代ですが、「父が貿易会社の社長で、母とイギリスに旅立ってしまって…」という本物のお嬢様。はなとは生まれ育ちが違います。
山の手言葉、英語での授業
この修和女学校で、はながまず戸惑うことになるのが、「ごきげんよう」「ございます」などの山の手お嬢様言葉。「くりょう!」「ずら」「てっ!」などといった甲州弁を話すはなは、言葉の違いを痛感することになります。
そしてさらに苦労するのが、授業が英語で行なわれること。修和女学校はカナダからやってきた教師が英語で授業をするという、当時の東京でも先進的な学校。特に給費生であるはなは、「一層勉強しなければならない」とブラックバーン校長の通訳を担当する英語教師の富山タキ(ともさかりえ)からも念を押されます。
はなはブラックバーン校長からもビシバシと英語を叩き込まれることになりそうで、こうした厳しい教育が後に翻訳家・村岡花子として花開く素地となっていきます。