NHK連続テレビ小説「エール」第6週(昭和5年当時)に登場した「金額」に関して、当時の物価感覚、現在の貨幣価値などをまとめます。
当時の初任給などと比較すると、無名だった裕一青年が提示された金額がいかに破格かがわかります。
賞金八千円、契約金三千五百円 現在のいくら?
第6週では、裕一が手にするかも知れない「海外作曲コンクールの賞金」と「コロンブスレコードとの契約金」の金額が明かされています。
※第6週の時代設定は「昭和5年(1930年)」となっています。
国際作曲コンクールの賞金=8,000円→現在の2,500万円
エスター社の国際作曲コンクールに入賞した裕一は、賞金に加え楽曲「竹取物語」の版権料として、8,000円という大金を手にするはずでした。
劇中のナレーションによれば、昭和5年当時の8,000円は現在の貨幣価値で2,500万円という莫大なもの(現在の貨幣価値は当時の3,000倍ちょっとになっているということですね)。
これに加え、欧州への留学費用の全額免除を言い渡されていたわけですから、裕一はとんでもない「宝くじ」を当てたような心持ちだったことでしょう。
しかし、世界的不況により留学は取り止めとなり、裕一に支払われるはずだった賞金もお流れになったと思われます(※賞金の顛末は言及されていないようですが、後に裕一はお金に困ることになりますので、恐らく賞金もオジャンになったと思われます)。
コロンブスレコードとの年間契約金=3,500円→現在の1,100万円
小山田耕三からの推薦を受けて、手のひら返しで裕一との契約を申し出た「コロンブスレコード」のディレクター・廿日市誉。廿日市が裕一に対して提示した契約条件は、1年で3,500円を先払いし、一月に2曲以上書いてもらうというものでした。
前述した当時の8,000円=現在の2,500万円(約3,000倍)というレートを当てはめると、裕一の年俸3,500円は現在の1,100万円ほどということになります。「3,500円」という金額を聞いた吟は「今までわたしが見合いした誰よりも高給取りじゃん!」と驚いています。
追記:5月14日(第34回)の放送では、音が裕一のために100円の高級蓄音機を奮発購入。ナレーションによれば現在の30万円ほどになるとのこと。
▼「評伝 古関裕而」(菊池清麿著・彩流社)によれば、古関裕而の「日本コロンビア」との最初の契約金は300円だったとのこと。
昭和5年の給与水準、物価は?
参考までに、昭和5年当時の給与水準、物価などをまとめておきます。
昭和5年の大卒初任給(月給)は約70〜73円、国家公務員の初任給は75円となっています。70円を3000倍すれば21万円ほどであり、現在の初任給水準とほぼ一致します。大卒エリートの初年度年収が大体800円〜900円といったところですね。
また、給与所得者全体の平均年収は738円程度となっており、まだ無名である裕一がいきなり年俸3,500円の契約を勝ち取ったというのがいかにインパクトのある出来事かがわかります。
▼昭和5年当時の物価は以下の通り。
・かけ蕎麦(1杯)=10銭
・カレーライス(1皿)=25銭
・寿司(並)=25銭
・アパート家賃(同潤会大塚女子・4畳半)=10円
・蓄音機(コロンビア)=80円
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