【エール】母校「福島信夫小学校」校歌 エピソードのモデルは福島商業高校校歌「若きこころ」か

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NHK連続テレビ小説「エール」第22週では、裕一と鉄男が母校・福島信夫小学校の校歌を共作する様子が描かれていきます。

このエピソードは、二人のモデルである古関裕而(作曲)と野村俊夫(作詞)が母校のために共作した福島商業高校校歌「若きこころ」がモデルではないかと予想します。

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鉄男に母校の校歌作詞を持ちかける裕一…第1話に伏線

昭和26年。鉄男(中村蒼)は木枯と作った「湯の町エレジー」でヒットを記録した後、スランプに陥っていました。そんな鉄男を見かねた裕一(窪田正孝)は、鉄男に対し母校・福島信夫小学校の校歌を作詞してほしいと依頼します。

振り返ると「エール」第1話(昭和39年10月10日・五輪開会式当日のシーン)では、裕一の母校である福島信夫小学校(※)の教室に、裕一作曲・鉄男作詞による校歌の額縁が飾られていました。(※)裕一と鉄男が通っていた当時は福島師範学校付属信夫小学校。

長い時を経て、ようやく第1話の伏線が回収されそうです。以下、第1話で教室の額縁に飾られていた校歌の歌詞。ドラマのオリジナル曲と推測されます。

福島信夫小学校校歌

作詞 村野鉄男
作曲 古山裕一

吾妻の嶺を仰ぎ見し
我等の郷に栄えあれ
修身専念 先人の
尊き教え敬いて
強度の礎ならんとす

阿武隈川に抱かれし
我等の郷に幸多かれ
献身尊崇 心寄せ
白虎の誇り 胸刻み
郷土の護りならんとす

参考:これとは別に第11週放送では、裕一が恩師・藤堂清春からの依頼を受けて福島吾妻尋常小学校の校歌を作曲しています。この福島吾妻尋常小学校は裕一と鉄男の母校ではありません。このエピソードは、古関裕而が恩師・遠藤喜美治の母校である要田小学校の校歌を作曲したエピソードがモチーフになっていると考えられます。

【エール】裕一が作曲する校歌(福島吾妻尋常小学校)モデルは?古関裕而が作曲した校歌もまとめます

古関裕而の母校は「福島大学附属小学校」 校歌は従兄弟が作詞

裕一のモデル人物・古関裕而は、福島県師範附属小学校(現在の福島大学附属小学校)に通っていました。この学校が「エール」劇中の福島師範学校付属信夫小学校(後に福島信夫小学校)のモデルと考えられます。

ただし、福島大学附属小学校の校歌(リンク先に歌詞あり)作詞・古関吉雄、作曲・岡本敏明によるものであり、古関裕而・野村俊夫コンビが共作したという事実はありません。

この福島大学附属小学校校歌の作詞を手掛けた古関吉雄さんという方は、古関裕而の従兄弟に当たる人物で、郡山市の開成小学校、郡山第三中学校、郡山第四中学校の校歌の作詞なども手掛けたそうです。

古関裕而、野村俊夫が母校・福島商業高校の校歌を共作

古関裕而、野村俊夫の幼なじみコンビが母校の校歌を作曲したというエピソードで思い当たるのが、二人が青春の時代を過ごした母校・福島商業高校(旧制福島商業学校)の校歌「若きこころ」です。

昭和32年、福島商業高校は創立60周年を迎えたことを記念して、新しい校歌「若きこころ」を披露しています。この「若きこころ」こそが、作曲・古関裕而、作詞・野村俊夫の名コンビによるもの。「エール」で裕一と鉄男が母校の校歌を作り上げるストーリーと重なります。古関裕而はこの時、「若きこころ」の歌唱指導やスピーチなどを現地の生徒に行ったようです。

「若きこころ」の歌詞には「雲白き吾妻の嶺よりなお高く 理想に燃ゆる若きこころ」「師の教え守りて」といった言葉が並んでおり、前述したエール劇中・福島信夫小学校校歌の「吾妻の嶺」「先人の尊き教え敬いて」といった歌詞内容と類似しています。

古関裕而の福島商業学校に対する母校愛は相当なものがあったようで、昭和5年の上京前に作曲した「福商青春歌」に始まり、野球部の応援歌「久遠ののぞみに」、それに「福商剣道部歌」「修錬隊の歌」など、母校の応援歌などを多数作曲しています。

少年時代に夜逃げし、苦労した鉄男

「エール」では鉄男が少年時代に家族と夜逃げをしたため、鉄男は裕一が通った福島商業学校には通っていません(鉄男は夜逃げ後、藤堂先生に紹介された新聞社で新聞配りとして働き、なんとか生き延びています)。そのため、二人が後年に商業高校の校歌を共作するというストーリー展開には無理があり、史実とは違う小学校の校歌を共作するという展開になったと考えられます。

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