NHKドキュメント72時間「多国籍団地」撮影ロケ地は県営「いちょう団地」(横浜市、大和市)

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2021年2月12日(金)に放送されたNHK「ドキュメント72時間」の撮影ロケ地・神奈川県営「いちょう団地」についてまとめます。

関東でも有数の「多国籍団地」として知られる同団地の年の瀬。多種の民族がそれぞれの形で年末年始を過ごす、そんな姿を追ったドキュメンタリーとなっています。

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国内屈指の「多国籍団地」

2月12日(金)放送予定のNHK「ドキュメント72時間」のタイトルは「“多国籍団地”のゆく年くる年」

この日の放送の事前予告文章は以下の通りとなっています。

ベトナム・カンボジア・中国など、住民の2割が外国にルーツを持つという、国内屈指の“多国籍団地”が舞台。彼らは異国での年末年始をどのように過ごすのか。正月用の食材を買うカンボジア出身の2人組。近隣への新年のあいさつを欠かさないラオス出身の夫婦。ベトナム出身の両親を持つ女の子は、団地で優しさを学んだという。新型コロナの影響で、いつになく静かな年越し。団地で共生する人たちの声に、3日間、耳を傾ける。

事前予告映像などから「“多国籍団地”のゆく年くる年」の撮影は、神奈川県下最大とも言われる公営団地「いちょう団地」(横浜市泉区、大和市)とその周辺で行われたようです。

この「いちょう団地」では、外国人が入居しやすい団地ならではの多様なスタイルの年越しの風景が見られます。なぜこの団地に特に外国人が多いのか?そこには、この地域が持つある歴史が関わっています。

▼典型的な「昭和的団地」の姿を今に残す「いちょう団地」。住民の2割が外国にルーツを持つという多国籍団地。

日本に逃れてきたインドシナ難民(ボートピープル)

いちょう団地が建てられたのは1971年(昭和46年)のこと。当時の国際情勢が、現在でもいちょう団地に外国人が多いことと少なからず関係しているようです。

1970年代中盤以降、カンボジアでポル・ポト政権の樹立(1975年)、ラオス人民民主共和国の成立(1976年)、そしてベトナム戦争による旧南ベトナム政権(南ベトナム共和国)の崩壊(1976年)と、インドシナ半島の三国で相次いで社会主義体制への移行が行われると、各地で大量の難民が発生。いわゆる「ボートピープル」と呼ばれた命がけの国家脱出難民が諸外国(日本にも)に押し寄せました。

大和市には1980年にインドシナ難民のための生活支援所「大和定住促進センター」が設置されており(1998年に閉鎖)、近くにあった公営のいちょう団地が、多数の難民(ボートピープル)たちの受け皿となったようです。

こうして団地一帯にインドシナ系を中心とした外国人コミュニティが誕生するとベトナム料理屋、カンボジア食材店なども生まれ、長年に渡りインドシナ系を含む外国人たちが定住しやすい環境が整ったようです。

昨今の日本の都市部では急速に定住外国人が増えていますが、ここいちょう団地では一朝一夕ではない長年に渡り、外国人のコミュニティが維持されてきたというわけです。

▼「シーワントアジア食品(東南アジア食材点)」、「中華菓子 美樹園」などが入る商業施設「いちょうマート」。

▼ベトナム料理屋「サイゴン」「金福」「banh mi VIET」、アジア日用品販売店「Kanefuku Store」などが入るディープな商業施設「メイプレ中和田」。いちょう団地交差点のすぐ横。

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