NHK連続テレビ小説「花子とアン」第21週(2014年8月18日~23日)放送では、村岡花子(吉高由里子)が子供向けのラジオ番組に出演し始めます。
このエピソードは実話を参考にした物となっていますので、詳細をまとめておきます。
「子供の新聞」でラジオデビュー
史実の村岡花子は「赤毛のアン」の翻訳者として名を知られるよりも先に、「ラジオのおばさん」として全国に知られる存在となりました。
昭和7年(1932年)、花子はJOAK(東京放送局=NHK東京の前身)の子供向け新番組「子供の時間」内のコーナー、「子供の新聞」のニュース読みキャスターとして抜擢されます。
原稿読みに関してズブの素人である花子の抜擢には、いくつかの理由がありました。
花子のラジオ出演抜擢の理由とは
長男・道雄を疫痢で亡くしてから間もなく、花子は「家庭の時間」というラジオ番組で「童話を通じての家庭教育」をテーマとして、マイクの前で25分間に渡り話していました。これが関係者の間で好評だった事が抜擢理由のひとつです。
さらには花子が長年に渡り童話作家として、子供たちの精神の成長に大きく貢献して来たことも、子供向けラジオ番組のスタートに当たり適役だと判断される要素になったようです。
花子は当初出演依頼を固辞しますが、巌谷小波、久留島武彦という憧れの童話作家の大家からの推薦、JOAK内部からの「女性の社会進出が婦選獲得に繋がる」という説得、それに新し物好きの夫・儆三のあっけらかんとした後押しもあり、出演を決意します。
「ごきげんよう、さようなら」が流行語に
花子が伝える子供向けニュースは瞬く間に評判を呼びます。放送が流れる夕食時には子供だけでなく主婦たちも巻き込み、全国のお茶の間で番組が聴かれました。
花子が番組の締めくくりに使っていたのが、美輪明宏も毎日ドラマで連呼している「ごきげんよう、さようなら」の文言でした。
花子が東洋英和女学院で身に付けた「山の手言葉」「お嬢様言葉」が津々浦々の日本国民には新鮮だったようで、花子の独特の口調を真似たモノマネが全国で大流行します。
モノマネ芸人、身に覚えのない請求書…有名人はツラい
「ラジオのおばさん」として一躍有名人となってしまった花子。
ついには花子の声帯模写をするモノマネ芸人や、ニセモノの村岡花子までもが登場。身に覚えのないの請求書が村岡家に届くなど、困ったことも多かったようです。
しかし同時に、花子の声が生きる励みになっているという病気の人の声なども届き、花子は放送の仕事に対しても使命感を抱くようになります。
関連記事
:花子とアン「JOAK」登場人物 漆原光麿(岩松了)有馬次郎(堀部圭亮)…
:「鉱石ラジオ」「JOAK」とは?「花子とアン」歩が真似した初期のラジオ放送