NHK連続テレビ小説「マッサン」第15週(015年21月12日〜)より。
鴨居商店でのウイスキーづくりに限界を感じていたマッサンとエリーは、ある人物の出資を取り付け、いよいよ北海道・余市の地で独立を果たします。この記事ではマッサンが立ち上げる「北海道果汁株式会社」と、史実の竹鶴政孝が立ち上げた「大日本果汁株式会社」の、それぞれの設立時の出資状況、金額をまとめます。
渡芳利から出資を取り付ける
まずはドラマから。
家主の野々村茂(神尾佑)から紹介を受け、マッサン夫婦は実業家であり投資家の渡芳利(オール阪神)という人物と巡り会います。
商才と先見性を持つ渡は当初、マッサンのウイスキー事業計画に難色を示します。二回目のプレゼンの際に、事業が軌道に乗るまでリンゴジュース(※リンゴは余市の特産品)を販売して資金を回すというマッサンのアイディアを聞き、渡は渋々ながら投資を承諾します。
建設資金50万円 その価値は?
マッサンの試算によれば、工場建設に必要な金額は50万円。
そのうちの40万円を渡と野々村が半額ずつ出資し、残り10万円をマッサンが調達するというのが、渡が投資をするための条件です。
鴨居欣次郎のもとへ退職届を提出しに行ったマッサンは、鴨居に頭を下げて残り10万円を工面し(鴨居はこれを「退職金」だと言って気前良く支払った)、いよいよ北海道へ渡る準備が整うことになります。
ちなみに物語の時代の3年前、昭和6年当時の教員の初任給が50円前後でしたから、10万円というのがいかに莫大なお金であるかがわかると思います。
マッサンは当時としては破格の年俸4,000円で寿屋に雇われていましたが、それでも建設資金総額50万円は目玉が飛び出るような大金であると言えます。
竹鶴政孝・工場建設資金は10万円
続いて、史実の竹鶴政孝の場合。
昭和9年。10年にわたり勤めていた寿屋(現在のサントリー)での自身の役割を終えたと感じていた竹鶴は、以前より再三試算をしていた北海道での工場建設資金10万円余りを調達するために、知人にウイスキーづくりの夢を説いて回りました。
この10万円という額ですが、寿屋・山崎工場を建設した時の200万円に比べれば随分と小さいもの。しかし、当時の竹鶴にとって10万円という額は到底個人で調達できるものではありませんでした。
三人からの出資を取り付けた竹鶴政孝
竹鶴の夢を理解し出資に応じてくれたのは、いずれも竹鶴と長年の付き合いのあった三人でした。
一人目は山崎工場勤務時代にご近所さんだった加賀証券社長・加賀正太郎。竹鶴の妻・リタが正太郎の妻・千代子に英会話を教えていた縁で、竹鶴夫婦とは親しい間柄でした。
二人目は帝塚山の地主で、竹鶴が帰国後に住んだ家の大家だった芝川又四郎。こちらもまた竹鶴夫妻とは家族ぐるみの付き合いがありました。芝川又四郎は、娘たちがリタに英会話を教わっていたことなどからも、ドラマに登場している家主・野々村茂のモデルではないかと思います。
そして三人目は、スコットランド留学時代からの知り合いだった柳沢保恵伯爵。
御年40歳。中年・竹鶴は夢へと走り出す
竹鶴は齢40歳にして、ついに理想のウイスキーづくりの夢へと走り出します。その実現には上述した三人の出資者が大きな役割を果たしたわけですが、後年、経営の危機に直面すると、出資者(特に加賀正太郎)との間に軋轢が生じる事になります。
恐らくドラマでも今後、出資者である渡芳利と理想のウイスキーづくりに固執し続けるマッサンとの間に軋轢が生じていく事になると思われます。
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