NHK連続テレビ小説「風、薫る」第23週(8月31日〜)では、詐欺師の寛太が悪質な派出看護婦会を経営していることが判明。看護婦への悪評が広まる現状に危機感を覚えた直美が内務省衛生局の柳生を訪ねることになります。
この一連のエピソードは、りんのモデル・大関和が悪質な派出看護婦会の横行に憂慮して内務省衛生局長の後藤新平に直訴した史実がモチーフとなっていそうです。
寛太が経営するような悪徳派出看護婦会が実在したのか、当時の派出看護業界の実情を簡単にまとめます。
【風、薫る】寛太経営の悪質な派出看護婦会
時は流れて1899年(明治32年)。世間で悪評が立っているという派出看護婦会の噂を耳にしたりん(見上愛)と直美(上坂樹里)は、真相を確かめるために悪質だと噂される派出看護婦会を訪ねます。
そこにいたのは、直美とは腐れ縁の間柄である詐欺師の寛太(藤原季節)でした。寛太は看護婦の資格がない女性たちを雇って派出看護をさせて金稼ぎをしており、いい加減な仕事ぶりにより患者たちとトラブルになっていたのでした。
憤りを覚えた直美は、かつて新潟の「赤痢の村」で知り合った内務省衛生局の官僚・柳生藤次(中村倫也)を訪ねるものの…。
▼寛太が経営する悪徳派出看護会には、かつて直美が看護をした遊女「夕凪」ことセツも所属しているようです。

【史実】悪徳派出看護会は実在した お金儲けの業者が大量参入
直美のモデル人物である鈴木雅は、1891年(明治24年)に慈善派出看護婦会「慈善看護婦会」(後に「東京看護婦会」と改称。大関和も合流)を立ち上げ、無償看護を含めた派出看護のパイオニアになっています。
その後、日清戦争を境に派出看護婦会は急増し、「風、薫る」第23週と同時代である1899年(明治32年)頃には東京市内に58箇所の派出看護婦会が乱立。900人以上の看護婦がそれら看護婦会に所属していたという記録が残っています。
当初は鈴木雅のようにしっかりと訓練を受けたトレインドナースが仲間たちを集めて派出看護婦会を経営する形が主流でしたが、次第に素人による経営が増え、農村から連れてきた若い女子をにわか仕込みの看護婦に仕立て上げて派遣を行うような業者が横行していきました。
髪結いや下宿屋、商店主など片手間の副業を含め、多数業者が参入していった派出看護業界。
儲かると知って利益目的で参入した業者が派遣する「看護婦」の仕事ぶりは極めていい加減であり、新聞は派遣先で売春を行っている「姦互婦」などと揶揄し、面白おかしく書き立てたそうです。
実際、当時の明治政府当局はこうした低劣な派出看護業者と「名ばかり看護婦」を
・十分な技能がないのに看護婦を名乗る
・年齢、心身の状態から実務に耐えない者がいる
・正規の料金以外に過大な謝礼を要求する
・風紀を乱す者がいる
・医師の指示なしに医療行為に踏み込む
といった観点から問題視をしていました。

【史実】悪評の横行に憤る大関和 後藤新平に直訴、新組織も立ち上げ
看護婦の地位が向上しつつあった中での悪評の蔓延に対し、大関和(一ノ瀬りんのモデル)は大きな憤りを覚えたそうです。
とはいえ、当時はまだ「看護師免許を持っている/持っていない」という全国統一の資格制度はなく、業界の正常化を訴えようにも「無資格看護婦」という概念自体が曖昧。派遣看護の仕事の質や利用料金の透明性などは担保されず、業者の良心、倫理観に一任されているのが実情でした。
こうした問題を改善したいと考えた大関和は、かつて児玉源太郎男爵の屋敷に派出された際に紹介してもらった内務省衛生局長の後藤新平を訪ねています。
大関和はアポなしで訪ねた後藤新平に対し、医師と同様に看護婦に対しても一定の技能水準を保つための資格制度が必要であることを直訴。
後藤新平は養成所でしっかりと学んだ者だけが看護婦として認められるような制度作りが必要だと認め、準備が整い次第規則の制定に取り掛かることを約束しています。
ただし、当時の後藤新平は医師法の制定などで大きな問題を抱えており、すぐには看護婦規則には取りかかれないと大関和に伝えています。
そのため、大関和と鈴木雅は差し当たって出来ることとして、「東京看護婦会」の隣に新たに「東京看護婦会講習所」を設立。自分たちの指導のもとで看護婦の養成を行う取り組みをスタートさせています。
さらに、鈴木雅の提案により「大日本看護婦婦人矯風会」という業界団体が設立されています。この団体に会員として所属している看護婦であれば信頼できるという「お墨付き」を与える業界団体であり、多くの賛同者が集まっていくことになります。
大関和の直訴から4年後の1900年(明治33年)。東京府は全国に先駆けて、看護婦の条件や資格試験の内容について定めた「看護婦規則」を公布しています。主な内容は、
・看護婦として営業するには免状が必要
・原則として満20歳以上の女子
・警視庁の看護婦試験(看護法・解剖生理・伝染病予防消毒法・実地など)に合格する
・医師の指示なしに治療・投薬などをしてはいけない
・看護婦組合(派出看護婦会に相当)を作る場合は認可を受ける
全国統一の「看護婦規則」としてはさらに15年後、1915年(大正4年)に内務省令「看護婦規則」が制定されています。

【まとめ】寛太のインチキ商売がキッカケ 業界の健全化に動く直美
以上のように史実では、悪質な派出看護婦会が横行→大関和が内務省衛生局に直訴→看護婦規則の公布・講習所や業界団体の立ち上げ、といった流れがありました。
「風、薫る」では、寛太のインチキ看護婦商売への憤りを発端に、直美が内務省衛生局の柳生藤次を訪問。柳生とのバトルを経て看護婦規則の制定に至るものと予想されます。
直美とりんは史実同様に業界の健全化のために、講習所や業界団体の立ち上げにも着手するのではないかと思います。
また、寛太のもとで生きるためにニワカ看護婦として働いているであろうセツ(旧夕凪)が、りんたちのプロフェッショナルな仕事ぶりを見て改心する展開も予想されます。