朝ドラ「あんぱん」若松次郎に死亡フラグ?次郎は亡くなってしまうのか 今後のネタバレ

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NHK連続テレビ小説「あんぱん」第10週(2025年6月2日〜)では、若松次郎とのぶの仲睦まじい姿や強い信頼関係を感じさせる描写が見られました。

しかしそれと同時に、そこかしこにのぶと次郎の別れを予見するかのような描写も散りばめられており、不穏な空気も感じられました。

この記事では、これから予想されるのぶと次郎の別れがどのようなものになるのかをまとめます。今後のあらすじを読む限り、おおむね史実通りの展開になると思われます。

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次郎に死亡フラグが?不穏な描写が続く

著:中園 ミホ, 編集:NHK出版, 読み手:NHKドラマ制作班
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第10週放送では、戦争の影響により急遽航海が中止となり高知に帰ってきた若松次郎(中島歩)とのぶ(今田美桜)の、つかの間の仲睦まじい夫婦生活が描かれています。

二人で朝田家に顔を出す前に御免与町の街なかで写真撮影を楽しんだり、朝田家の面々と楽しい会話をしたりと、「もうのぶの生涯のパートナーは次郎さんでいいんじゃない?」という声が視聴者から聞こえてきそうな仲良しぶりでした。

「戦争が終わったら生徒らあに楽しい授業をしたい」
「次郎さんと一緒に船に乗っていろんな国に行ってみたい」

次郎からの影響を受けて人間味あふれる夢を語り始めるのぶですが、それと同時に、そこかしこに次郎との別れを予感させる描写が散見されています。

第48回放送(2025年6月4日)では、これから長く危険な航海に出るという次郎に対し、以下のような「死亡フラグ」ともとれる描写が見られました。

・戦地に兵隊や軍需物資を輸送する危険な航海に出ることになった次郎。何かを悟ったのか、次郎はのぶに対し「もし僕の身に何かあったら、代わりに君が夢をかなえてほしいがよ」と発言。

・今回の航海にはなぜか愛用のカメラを持参せず、自宅に残るのぶにカメラを託す次郎。

・「僕は…この戦争に勝てるとは思わん」と冷静な発言をする次郎に対し、愛国教師として「そんなこと思うてはいけません」と立腹しながら反論するのぶ。

・航海出発時、自分の写真を撮ってほしいとのぶにお願いする次郎に対し、のぶは「無事に戻った時に撮ります」と発言。のぶとしては、ここで写真を撮ってしまうと二度と次郎が帰ってこないという予感があったか。

・危険な任務に就く次郎に対し「お国のために立派なご奉公を」と言って送り出してしまうのぶ。「生きて帰ってきて」とは言えなかった。

仲睦まじい若松夫妻ではありますが、のぶの愛国教育へのこだわりに対し、次郎が少しだけ落胆(困惑?)したかのような寂しげな表情を見せていましたね。次郎は「お国のために立派なご奉公を」ではなく「生きて帰ってきて」とのぶに言ってほしかったのかも知れません。

このまま二人は今生の別れになってしまうのでは…?そんな悪い予感も漂う、意味深な一連のシーンでした。

【今後のネタバレ】次郎は航海で亡くなる?病気になる?

▼のぶと嵩の幼なじみストーリーはドラマのオリジナル、ファンタジー。史実では二人は幼なじみではなく、戦後に未亡人となった暢が勤め先の新聞社でやなせたかしと知り合っています。

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以下今後のネタバレです。ご注意を。

今後のあらすじを読む限り、やはり第48回放送の不穏な描写(死亡フラグ?)は次郎の未来を暗示していたようです。

1942年(昭和17年)の初頭に長い航海に出た次郎ですが、いよいよ日本の戦況が厳しくなる1945年(昭和20年)春頃に、久しぶりにのぶと再会することになります(第12週)。

二人が再会した場所は高知の自宅ではなく、広島・呉の海軍病院でした。次郎は肺病(肺結核)を患ってこの病院に入院しており、のぶがお見舞いのために高知からこの病院を訪ねるようです。

長い航海の無理がたたったのでしょうか、次郎の肺結核は重く、どんどんと病状は進行していきます。

そして終戦から半年あまりが過ぎた1946年(昭和21年)の初め頃。次郎は「大きな夢が出来た」といって謎の記号が書き記された日記(速記で何かが書かれている)をのぶに渡すと、その数日後に急逝してしまいます。

一人残されてしまったのぶは、次郎が残した日記を手がかりに速記の勉強を始めると、次郎が愛用したカメラを首から下げて高知の町を歩き回り、次郎の夢を受け継ごうと歩み始めます。

のぶはこのフィールドワークの最中、高知の闇市で高知新報社に勤める東海林(津田健次郎)らと出会い…。

【史実は…?】

のぶのモデルである小松暢は、 1939年(昭和14年)に高知出身の日本郵船職員・小松総一郎と最初の結婚をしています。総一郎は新婚早々に招集され、後に戦地から高知に帰還しますが、戦後すぐに病死。一人残された暢は、夫が遺した愛用のカメラ「ライカ」を手に高知新聞社に入社しています。

暢は同社初の女性記者の一人として高知新聞社で働き始めると「月刊高知」の編集に携わるようになり、そこで後から入社してきたやなせたかしと知り合っています。

「あんぱん」でもこうした史実を参考に、のぶが次郎愛用のカメラと速記の日記を受け継ぎ、町のフィールドワークを開始。のぶは縁あって記者として高知新報社に入社することになりそうです。

のぶはこのタイミングで、中国から復員した嵩とも再会。いよいよ嵩との運命の糸が手繰り寄せられる展開となりそうです。

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