朝ドラ「あんぱん」蘭子の仕事って何?郵便局員ほか職歴まとめ (予想)八木の出版事業のパートナーに?

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NHK連続テレビ小説「あんぱん」に登場しているヒロインの妹・朝田蘭子(河合優実)。三姉妹の中で一番早くから働き出し、朝田家の家計を支え続けていました。

この記事では、これまで蘭子がどのような仕事をしてきたのか、劇中の発言などからまとめてみたいと思います。

また、サンリオの創業者をモデルにしているらしい八木信之介が蘭子と接近する展開も予想されてますので、今後の蘭子の人生の展望、キャリアなども予想してみたいと思います。

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目次

【蘭子14歳〜25歳】最初の就職先は郵便局 11年働いた後に退職

高等女学校には進学せずに、三姉妹の中で一番最初に働き始めた次女の蘭子。戦前から戦中にかけては、最初の就職先である御免与町の郵便局で働いていました。

※第3週、1935年(昭和10年)の時点ですでに蘭子(当時14歳)は学校を卒業して郵便局で働き始めており、早い就職だったことがわかります。

やがて戦争が終わり戦地から多くの男性たちが復員して職にあふれると、女性である蘭子は郵便局から必要とされなくなり、退職を余儀なくされています(第78回)。

この時点での時代設定は1946年(昭和21年)であり、蘭子の年齢は25歳。14歳で働き始めてから11年の間、蘭子は郵便局で働いて朝田家の家計を支えたことになります。

【蘭子25歳〜26歳】高知市内の会社で経理の仕事に 副業で記事執筆も

その後、働き口を探していた蘭子でしたが、1946年(昭和21年)の秋頃に、高知市内にある会社の経理の仕事が決まったとのぶ(今田美桜)に手紙で伝えています(第17週・第82回)。

蘭子は高知市内の若松邸(次郎の家)にメイコ(原菜乃華)と一緒に住み、会社に通っていたようですね。

その翌年(1947年・昭和22年)には、のぶを追って上京してきた嵩が蘭子の近況をのぶに伝えています(第18週・第86回)。

それによれば、蘭子は高知で経理の仕事を続けながら高知新報の雑誌「月刊くじら」に記事を書いているとのこと。

恐らく嵩のツテによる紹介なのでしょう。蘭子は「夏の編み物の特集記事」の執筆を担当し、編集長の東海林(津田健次郎)から「要点がまとまっていてお前(嵩)が書く記事よりずっと読みやすい」と褒められているのだそう。のぶは蘭子の思わぬ才能に嬉しそうな表情を見せています。

【蘭子27歳〜】会社が東京進出 自ら転勤を志願して上京

1948年(昭和23年)の春、蘭子が働く高知の会社が東京支社を出すことになります。

蘭子は高知での仕事や生活は順調だったものの、新しいことをしたくなったという理由で自ら東京への転勤希望を出しています。蘭子は映画鑑賞が大好きであり、東京に来れば好きなだけ最新の映画を見られるという思惑もあったようです。

転勤の希望は見事に通り、蘭子はメイコとともに上京。のぶの世話もあり、二人は嵩とのぶの部屋の向かいにあるアパートの二階を間借りし、新生活をスタートさせています。

蘭子はこの時点でも「月刊くじら」の記事の執筆は続けており、東海林から変わらず高い評価を得ているようです。

【蘭子39歳〜】映画の辛口記事が好評に

それから月日が12年ほど流れて1960年(昭和35年)。

39歳になっていた蘭子は東京で会社勤めをしながら、好きな映画の紹介記事を雑誌に投稿し続けていたようです。蘭子らしい辛口の映画評は人気となり、今では映画雑誌で連載を任されるまでになっています(第20週・第98回)。

【今後の展望と予想】八木の仕事に絡む?蘭子、出版事業に進出?

一部視聴者の間では、共に大切なパートナーを亡くした蘭子と八木信之介(妻夫木聡)がやがて結ばれるのでは?という声もあがっています。

当ブログでは、いずれ蘭子が八木の仕事(出版事業?)を手伝うような展開があるのではと予想しています。

第20週では、八木の店に顔を出した蘭子がついに八木と初対面。八木の言葉に対し「お、シェークスピア?」と反応する蘭子の姿が。第21週では八木が蘭子の映画評について鋭い指摘をするという内容が予告されています。

八木信之介というキャラクターは、サンリオの創業者・辻信太郎氏がモデルであるとされ、八木が雇われ店長をしている雑貨店「九州コットンセンター」は、サンリオの前身である「山梨シルクセンター」がモデルだと考えられます。

辻信太郎氏は「山梨シルクセンター」時代にやなせたかし(柳井嵩のモデル)と知り合うと、彼にデザインの仕事などを頼むようになり、やがて彼の最初の詩集の刊行のために同社に出版事業を立ち上げています

やなせたかしはこの「山梨シルクセンター」で出版事業に携わり、名作「アンパンマン」(初出)を含む短編を同社から出版するなど、辻信太郎氏と深い関係を続けています。

こうした史実から、八木信之介が「九州コットンセンター」を発展させて出版事業部を作り出し、嵩の作品づくりの後押しをする展開が予想されます。その際に、文学や映画の素養がある蘭子が八木の仕事を手伝うような展開があるのではと予想しています。

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