朝ドラ「あさが来た」今井(白岡)あさが生きた時代背景、時代設定【江戸末期・嘉永2年〜大正8年】

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NHK連続テレビ小説「あさが来た」は、朝ドラ93作目にして初めて江戸時代・幕末から物語がスタートします。この記事では、「あさが来た」の時代背景をまとめます。

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目次

嘉永年間生まれ ペリー来航、幕末へ

「あさが来た」の物語は、ヒロインの今井あさ(波瑠)が生まれた嘉永年間(1848年~1854年)から始まります。

あさのモデルとなっている女性起業家・広岡浅子は嘉永2年(1849年)に生まれ、大正8年(1919年)に数え年で七十一歳で亡くなっています。「あさが来た」も、ヒロインが生きた幕末から大正期までの約70年間が物語の時代設定になると思われます。

以下、ヒロインのモデルとなった広岡浅子の人生をなぞりながら、ヒロイン・今井あさの生きた時代背景をまとめてみたいと思います。

広岡浅子が生まれた嘉永年間は、太平の世が続いた江戸時代から急速に新しい時代へと移行していく時期にあたります。ペリーの黒船が浦賀に到着し(嘉永6年)、日米和親条約の締結(嘉永7年)により鎖国が終焉したのも、この年間です。

浅子が生まれた京都の豪商・油小路家三井家、それに嫁ぐ先である大坂の加島屋(ドラマでは加野屋)などの多くの豪商は、かつての繁栄から一転、幕末から明治維新にかけて苦しい台所事情に直面することになります。

江戸幕府の財政悪化による莫大な「御用金」(苦しい財政を補うために庶民に課した上納金)の要求、それに後の新政府が江戸幕府と戦うための資金提供を求められるなどの煽りを受け、多くの名家の財政は厳しいものとなっていきます。

明治維新による旧豪商の苦境

浅子は20歳で明治維新を迎えています。明治維新(1868年)による「国家の在り方」の変化も、加島屋に嫁いだ浅子を苦しめることになります。

加島屋は両替商として諸国大名に多額の金を貸し付けていたのですが、幕府が倒れることによってこれら大名からの返済が滞ります。さらには銀目廃止により庶民に対しなけなしの金銀の交換に応じざるを得なくなり、借財をしてこの時期を乗り切ろうとします。借財は嵩み、加島屋は方々の借入先に返済延期を頼み込む必要が生じ、浅子がこの役割を担って奮闘します。この時期、大阪の多くの豪商が店を閉めています。

近代化 鉱山や銀行など新種のビジネス

両替商として時代の変化により苦しい経営が続く加島屋でしたが、逆に、明治以降の急速な近代化の恩恵を受け、新しいチャンスをものにすることになります。

浅子が事業家として才覚を発揮するのはこの時期で、明治17年に鉱山事業に参入、明治21年には加島銀行設立と、時代の先を見越した多角経営に乗り出します。当時としては珍しかった女性事業家・浅子の先見の明により、加島屋は大きな「先行者利益」を獲得するに至ります。

女性の社会進出、教育に尽力

明治30年代に入ると、徐々に安定してきた加島屋の経営は娘婿に託し、浅子は女性の社会進出、教育活動に力を注ぐようになります。

明治34年、日本で初めての女子高等教育機関である日本女子大学校(現・日本女子大学)の設立に貢献。大正3年から死の前年まで毎夏御殿場の別荘に若い女性を集めて合宿勉強会を開く(若き日の市川房枝、村岡花子、井上秀らが参加)など、男性に頼らずとも自立して歩いてゆける新しい時代の女性像を模索、啓発していきます。

▼大人気だった朝ドラ「花子とアン」原作にも、村岡花子が広岡浅子の勉強会に参加する様子が描かれています。

商人として、社会事業家として

以上のように、若き日の維新期、商家の混乱により事業家としての才覚に目覚め、壮年期には近代化の時代を読み商才を発揮し、晩年には急速に芽生えつつあった女性の自立、地位向上を後押しする活動に没頭するなど、広岡浅子は時代の流れとともに社会の中で自らの役割を演じます。

ドラマ「あさが来た」も大筋でこの時代の流れに乗っ取ってストーリーが進むものと見られ、江戸から明治、そして大正へと急速に近代化、欧米化が進む世相を反映した物語となりそうです。

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▼「あさが来た」と時代設定が近い2023年の朝ドラ「らんまん」。主人公のモデル・牧野富太郎は幕末の1862年(文久2年)に土佐で生まれています。広岡浅子よりも13歳ほど年下です。

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