【あさが来た】千代が通う京都白川高等女学校 モデルは京都府高等女学校 現在は…

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NHK連続テレビ小説「あさが来た」で、あさの長女・千代は京都の女学校に進学することになります。

この記事では、千代が進学することになる「京都白川高等女学校」について、史実のモデルとなっている学校を交えて、まとめます。

千代、新次郎の提案で京都白川高等女学校へ

母・あさ(波瑠)と折り合いが悪く、日々不満ばかりが募っている千代(小芝風花)。そんな千代を見かねて父・新次郎は、上方いちの名門とされる「京都の女学校」への進学を千代に進めます。

この京都白川高等女学校は、修身や家事、お裁縫の教育にとりわけ力を入れており、「花嫁修業」がしたい千代にとっても決して無駄にはならない道。

同校には寄宿舎(花霞寮)があり、入学すると同年代の生徒たちと共同生活を送ることになります。新しい環境に身を置くことで見聞を広げ、より大きな器を持つ人間になって欲しいと、新次郎は考えていたのです。この女学校で千代は親友となる田村宜(吉岡里帆)と出会い、少しずつ成長していくことになります。

京都府高等女学校がモデル

ドラマで登場する「京都白川高等女学校」には、モデルとなっている実在の学校があります。広岡浅子の娘・亀子(千代のモデル)が通った「京都府高等女学校」です。

京都府高等女学校は、1872年(明治5年)5月に「新英学級及女紅場」として京都・旧九条殿河原町邸に設立されています。同年2月に日本初となる「官立女学校(東京女学校)」が東京に設立されており、「新英学級及女紅場」はそれに続く女学校でした。
※「新英学校」は華族、士族の女子を教育する場で英語や数学を教えました。「女紅場(にょこうば)」は女性が裁縫などを習って手に職を付ける場のこと。NHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公・山本八重は、「新英学級及女紅場」で教導試補として織物などを教えていました。

亀子、井上秀と出会う

この女学校は1887年(明治20年)には「京都府高等女学校」と改称されており、亀子はこの時代に通っていたものと思われます。京都府高等女学校は関西でも名高い名門女学校として知られていました。

亀子は、この京都府高等女学校で親友となる井上秀(ドラマでは田村宜として登場)と出会っています。井上秀は亀子との縁もあり広岡浅子の薫陶を受け、後に日本女子大学に進学。アメリカ留学後に日本女子大学教授となり、後年には同大の第4代校長に就任しています。

現在は府立鴨沂高等学校

京都府高等女学校はその後、「京都府立第一高等女学校」(明治37年)、「京都府立京都第一高等女学校」(大正12年)となり(京一女、京都一女と呼ばれた伝統校)、戦後に府立嵯峨野高等女学校との合併などを経て、「京都府立鴨沂(おうき)高等学校」と改称され(昭和23年)、共学校として現在に至ります。

かつては京都大学へ多数の進学者を出していた同校ですが、現在ではそこまでの進学校ではないようです。

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