NHK連続テレビ小説「あさが来た」で、ヒロインの実家・京(京都)と、嫁ぎ先である大坂(大阪)とを行き来する場面がしばしば登場します。
この記事では、ドラマの舞台である幕末期における京〜大坂間の交通手段をまとめます。
はつ・あさ姉妹 初めての大坂旅
10月1日(木)放送の第4回では、ヒロインと姉、父が京から大坂の嫁ぎ先である加野屋と山王寺屋を訪ねる場面がありました。ドラマ内の描写によれば、三人はその日の夜には京の自宅に帰っていたことから、この旅は日帰り(あるいは前日に大坂で一泊)であったことがうかがえます。
京都と大阪 幕末はどうやって移動した?
幕末当時、京と大坂(45キロ)を結ぶ交通、移動手段は主に淀川を利用した「水運」と、京街道(人力や馬)を利用した「陸路」がありました。
当時は京〜大坂間の移動、輸送は流れが穏やかな淀川を行く水運が非常に盛ん。「あさが来た」第二週でも、はつが嫁入りする際に水運を利用するシーンがあり、今井家が大坂へ行く際にはこの淀川の水運をたびたび利用していたものと思われます(今井家のようなお金持ちは貸し切り便かな?)。
京~大坂間の大動脈「三十石船」
▲歌川広重「京都名所之内 淀川」。三十石船と、それに近寄る煮売茶船「くらわんか舟」の姿が。画像はWikipediaより転載(パブリックドメイン)。
江戸時代、京~大坂間の交通の大動脈として活躍したのが、「三十石船」と呼ばれる貨客船でした。長さ約17m、幅約2.5m、船頭4人、乗客定員30人ほどの「三十石船」は、江戸末期には1日平均で約1500人と800トン、最盛期にはそれ以上の人と貨物を運んでいたそう。
所要時間は?
気になる所用時間ですが、京〜大坂間約45キロを下り(京→大坂)は約半日、上り(大坂→京)は約一日かかったそうです。夜に出て朝に到着する夜行便に人気があったそうです。
これだと「日帰りは無理では?」と思われますが、実は現代の「新幹線」にあたる快速船「早上り三十石」「早舟三十石」という船も存在しました。こちらの「早舟」は、船頭が6名に増員され、下り(京→大坂)は6時間、上り(大坂→京)は12時間ほどだったともいわれます。
この「早舟三十石」であれば、その日の昼間に加野屋、山王寺屋に顔を出し、その日の夜中に京の自宅に帰ることは何とか可能と言えそうです。
※一応、駕籠(人力)で移動した可能性も考えられます。駕籠は平均時速6キロほどで、45キロの距離だと単純計算で8時間弱。
乗船場には船宿街 煮売茶船「くらわんか舟」も
京(伏見)にはそれぞれ京橋、蓬莱橋、阿波橋、平戸橋という乗船場が、大坂には八軒家、道頓堀、東横掘、淀屋橋という乗船場があり、乗船場の周囲には船宿が軒を連ねていました。また、船旅の道中、「くらわんか舟」という商売船が三十石船に近付き、飯、ごぼう汁、餅、酒などの飲食物を船客に販売したそうです。なんとも賑やかな光景が想像できます。