NHK連続テレビ小説「あさが来た」に登場する「商法会議所」についてまとめます。
商法会議所は現在の商工会議所であり、早くから必要性を説いた五代友厚の先見の明がわかります。
商法会議所の役割とは
明治11年、五代友厚(ディーン・フジオカ)は、渋沢栄一(三宅裕司)や大物財界人とともに、「商法会議所」設立のために奔走していました。
国が推し進める文明開化のためには産業を発展させ、貿易をより栄えさせることが急務。しかし当時の日本には商工業者を代表して発言する者がおらず、諸外国との取引が対等に行なわれていませんでした。そこで五代らは「商法会議所」を設立し、商工業者が集う場所を創ろうとしたのです。
五代友厚は、青年時代の渡英経験で得た知識・見聞などから、日本の商工業の後進性を嘆いていました。島国根性を発揮し、御家、企業単位でのみ物事を捉える日本の商工業者たち。こうした日本の商工業の習慣を取り払って業者同士が横で連携し、国内外において調整機関としての役割を果たす経済団体として立ち上がったのが、商法会議所だったのです。
東京、大阪、神戸に誕生
1878年(明治11年)、伊藤博文の構想のもと、東京(渋沢栄一が初代会頭)、大阪(五代友厚が初代会頭)、神戸の三ヶ所に日本で初めての商法会議所が設立されています。
その後、商法会議所は「商工会議所」となり、現在では500ヶ所以上の商工会議所(会員数125万人)が国内に存在します。
新次郎が設立に尽力 株価急上昇?
▲証券取引所、商工会議所、大阪市立大…。「近代大阪経済の父」五代友厚の大阪への貢献は計り知れない。
Photo by: Kristoffer Trolle
あさ(波瑠)は五代が考える商法会議所の重要性を理解し、日本が力をつけるためには東京だけでなく大阪にも商法会議所をつくるべきだと考え、これに協力するようになります。
この過程の中で、意外にも(?)新次郎の広い人脈が活かされることになります。「新しいこと」に拒否反応を示す大阪商人たちを新次郎が説いて回り、大阪商法会議所の設立に貢献することになるのです。
これまで新次郎を「ボンボン」扱いし、あまり評価していなかった五代は、これをキッカケに少しずつ新次郎のことを認めていくようになります。
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