NHK連続テレビ小説「あさが来た」に登場する加野屋の手代・五郎丸弥七(竹下健人)。
この記事では、弥七の肩書きである「手代」についてまとめるとともに、「番頭」「丁稚」など他の役職との上下関係についてまとめます。
手代とは?現在の係長?
「手代(てだい)」は、商家の役職のひとつ。
大阪・船場あたりの商家では、上から、旦那→番頭→手代→丁稚という地位が存在します。現在の会社でいえば手代は、ようやく肩書きがつきはじめる段階である「係長」「主任」といったところでしょうか。
加野屋の上下関係は?
「旦那(だんな)」は商家の主人・当主であり、加野屋でいえば正吉(近藤正臣)、後継者の榮三郎(桐山照史)がこれにあたります。会社で言えば社長、代表取締役といったトップですね。
「番頭(ばんとう)」は商家の使用人の中で最高の地位であり、加野屋では大番頭・雁助(山内圭哉)、次いで中番頭・亀助(三宅弘城)がこれにあたります。番頭は商いの経営や御家の家政全般を行います。おおよそ30歳前後で番頭になる場合が多く、番頭になるまでは結婚が許されないケースが多かったとか。現代の会社で言えば上級の管理職や幹部クラス、といったところでしょう。
弥七の肩書きである「手代(てだい)」は、番頭の下の立場。10歳前後で「丁稚(でっち)」という奉公の身分で商家に入った使用人は、大体10年ほど奉公の身で我慢し、やがて手代に昇格して初めて給与を払われるのが一般的でした。
※加野屋にはもうひとり、手代として松田佑作(杉森大祐)という丸メガネをかけた手代がいます。
「手代」は一流商人への第一歩
「あさが来た」の弥七もまだまだ若く、丁稚の奉公生活からようやく手代になった身分なのでしょう。
丁稚時代は肉体労働や雑用が主だった仕事内容も、手代になるとようやく接客など直接商いに関わることができるようになります。ただし、手代は結婚を認められないケースが多く、まだまだ半人前といった立場といえます。
手代で10〜15年前後経験を積んで実力が認められれば、やがて弥七も番頭へと昇格することになりますが、第12週現在の弥七は頼りなく、まだまだ見習いといった雰囲気です。
雁助、亀助らと軽口を叩き合っては叱られているお調子者の弥七。遠くない将来に加野屋からの独立が約束されている雁助に代わり、弥七が番頭に昇格する日が来るのでしょうか。
【追記】弥七はその後、加野屋が業務転換して誕生した「加野銀行」の支出掛係長に出世しています。
関連記事
・【あさが来た】元大番頭・雁助のその後 神戸でマッチ工場を経営していた!