NHK連続テレビ小説「あさが来た」の原案(原作)小説のタイトルにもなっている「土佐堀川」。
この記事では、土佐堀川という河川名、地名の由来と、原案小説が「土佐堀川」と名付けられた理由などをまとめます。
広岡浅子の嫁ぎ先・加島屋の目の前を流れる川
「あさが来た」の物語は、古川智映子の「小説 土佐堀川」が原案となっています。この「土佐堀川」という小説タイトルですが、ヒロイン・あさ(波瑠)のモデルである広岡浅子が嫁いだ加島屋(加野屋のモデル)があった場所に由来します。
かつて加島屋本家のお屋敷があったのは、現在は「大同生命大阪本社」のビルが建つ、土佐堀川沿い・肥後橋前(大阪市西区江戸堀1丁目2番1号)でした。広岡浅子がいつも目にし、生活をともにした風景が「土佐堀川」だったわけです。
ドラマでも、目の前の川こそ登場しませんが、「(加野屋の)土佐堀川沿いの蔵を売る」といったセリフが登場しています。
土佐堀川 地名は土佐藩に由来
▼現在は阪神高速の高架に囲まれる、肥後橋一帯。
この「土佐堀川(とさぼりがわ)」という河川名ですが、大川(旧淀川)下流の部分称です。
大阪府立中之島図書館や大阪市中央公会堂(中之島公会堂)など重要な建築物が立ち並ぶ中洲地帯「中之島」の、南側流路が「土佐堀川」と呼ばれ、北側流路は「堂島川」と呼ばれます。
現在の西区土佐堀1〜3丁目付近の沿岸は、かつて長宗我部氏、山内氏が開き、豊臣の時代から土佐商人が多かったとか。そのため一帯が「土佐座(とさざ)」と呼ばれたことなどから、「土佐堀川」と名付けられたそうです。
倒幕の拠点にも
土佐堀沿いには薩摩藩、長州藩の蔵屋敷が置かれ、幕末期には倒幕運動の拠点になったそう。ドラマでも幕府側・新選組の土方歳三(山本耕史)が加野屋に乗り込んでくるなど、激動の中心地に近かったことを示唆する場面がありましたね。
大同生命ビルが建つ
大正11年(1922年)には、土佐堀川・肥後橋前にあった加島屋本家の屋敷は取り壊され、同敷地に大同生命新社屋(旧肥後橋本社ビル。米国人建築家ウイリアム・メレル・ヴォーリズ設計)が建てられています(浅子はその3年前、1919年に死去)。
この鉄筋コンクリート9階建て、近世ゴシック様式の華麗で重厚な建物(1990年に解体)は、文庫版「小説 土佐堀川 広岡浅子の生涯」の表紙の絵に採用されており、往時の土佐堀川・肥後橋前の活気が伝わります。
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